Works

第2回 みらいつくり哲学学校 「第1章 人間の条件(1~3節)」開催報告

前回の報告はこちら

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

2021年4月13日(火) 10:30~12:00、第2回となる「みらいつくり哲学学校オンライン」を開催しました。

 

偶数回は、ハンナ・アレント著, 清水速雄訳『人間の条件』を課題図書にしています。

今回取り扱ったのは、「第1章 人間の条件(1~3節)」でした。

 

アーレントははじめに、<活動的生活>という人間の条件にかかわる基本的な活動力を挙げます。

 

<活動的生活>とは、以下の3つに分けられます。

 

①労働
・人間の肉体の生物学的過程に対応する活動力
・人間の肉体が自然に成長し、新陳代謝を行ない、そして最後には朽ちてしまうこの過程は、労働によって生命過程の中で生みだされ消費される生活の必要物に拘束されている
・労働の人間的条件:生命それ自体
=生き物として生きていくために必要なもの

 

②仕事(制作)
・人間存在の非自然性に対応する活動力
・仕事は、すべての自然環境と際立って異なる物の「人工的」世界を作り出す
・仕事の人間的条件:世界性(ワールドリネス)
=芸術作品など、生きていくために必ずしも必要でないもの

 

③活動(行為)
・物あるいは事柄の介入なしに直接人と人との間で行われる唯一の活動力。多数性(地球上に生き世界に住むのが一人の人間ではなく、多数の人間であるという事実)という人間の条件に対応する
・多数性こそ、全政治生活の必要条件であるばかりか、最大の条件
・多数性が人間活動の条件なのは、私たちが人間であるという点ですべて同一でありながら、だれ一人として、過去に生きた他人、現に生きている他人、将来生きるであろう他人と、けっして同一ではないから
=生きるために必要でもなく、人工物を生み出すでもない活動。哲学学校のような対話的活動もこれにあてはまる

 

3つの活動力とそれに対応する諸条件は、すべて人間存在の最も一般的な条件である生と死、出生と可死性に深く結びついています。

 

①労働は、個体の生存のみならず、種の生命をも保障します
②仕事(制作)とその生産物である人間の工作物は、死すべき生命の空しさと人間的時間のはかない性格に一定の永続性と耐久性を与えます
③活動(行為)が政治体を創設し維持することができる限りは、記憶の条件=歴史の条件を作り出します

 

上記全ては、未知なる人として世界に生まれる新来者が絶えず流入することを予定し、それを考慮に入れ、彼らのために世界を与え保持する課題をもっています。そのため、出生と深く繋がっています。

 

とりわけ活動は、出生という人間の条件に最も密接な関連をもちます。
それは、誕生に固有の新しい始まりが世界で感じられるのは、新来者が新しい事柄を始める能力=活動する能力をもっているからにほかならないからです。

また、活動がすぐれて政治的な活動力である以上、可死性ではなく出生こそ、形而上学的思考と区別される政治的思考の中心的な範疇であると、アーレントは言います。

 

 

<活動的生活>が営まれる世界では、
人間の活動力によって生みだされる物から成り立っています。それは人間が作った物であるにもかかわらず、人間の絶えざる条件にもなっています。

また、人間は自分自身の手になる条件を絶えず作り出しており、世界の客観性と人間の条件は相互に補完し合っていると言います。

つまり、人間が作り出す物は、人間にとって全く必要のない物はなく、人間と物は関係し合っているということです。

 

ここで一つ注意しておきたいのは、「人間の条件(human condition)」と「人間本性(human nature)」は同一ではないという点です。

人間の条件に対応する人間の活動力と能力を全部合計しても、それで人間本性のようなものができあがるのではありません。

例えば、人間が地球から他の遊星に移住した場合、地球での条件とは根本的に異なる条件のもとで生きなければならず、これまでの活動や価値観は無意味になります。

この場合の地球からの空想的な旅行者たちも、依然として人間なのであると、アーレントは言います。

 

人間の本性に関する問題として、
キリスト教の哲学者アウグスチヌスは、「自分にとっての自分自身(人間の本性)という謎」といい、仮に私たちが本性や本質をもっているとしても、それを知り定義づけられるのは、明らかに神(神のごとき存在)だけであるとします。

 

哲学者たちがどんなに人間の本性を調べようとしても、最後には神(神のごとき存在)を創造せざるをえず、最終的にそれを突き詰めると、「超人」としかいいようのない、したがって神といってもいい一個の観念に必ずゆきついてしまいます。

 

<活動的生活>という用語が使われてきた歴史は、
西洋の政治思想の伝統と同じくらい古く、特殊な歴史的布置(ソクラテスの裁判と、哲学者とポリスのあいだの葛藤)から成長してきました。

この哲学者とポリスのあいだの葛藤が続く過程で、直接政治目的に関係のない過去の多くの経験は排除されていきます。

最後にカール・マルクスの著作でこの選択の傾向は終りに達し、生産様式という「政治目的」のみに焦点をあてるようになりました。

また、中世では<活動的生活>を、「多忙な生活」あるいは「精力的な生活」としてとらえていました。

 

古代ギリシャにおける自由な「3つの生活様式」と「美しいもの」は、必要でもなければ単に有益でさえないようなものに関連しているという点で共通しているとアリストテレスは言いました。

 

三つの生活様式とは、以下のようなもので、

①肉体の快楽を享受する生活
②ポリスの問題に捧げられる生活
③永遠なる事物の探究と観照に捧げられる哲学者の生活

これらが古代ギリシャの自由な生活とされていました。

 

その後、中世では、「観照」というものが自由な生活様式として重要視されていくようになりました。観照とは、抽象的なものを生み出すものの見方です。

 

この観照が、先に挙げた3つの<活動的生活>にたいして圧倒的な優位を占めました。その中で哲学者たちは、政治的活動力からの自由や政治的活動力の終焉を主張していきました。

当時古代ギリシャの哲学者は政治に深くかかわっていました。中世からは政治にかかわることよりも、観照を重視していくようになりました。

 

観照によって、近代が伝統と訣別し、最後にマルクス(唯物論)とニーチェ(「神は死んだ」)がこのヒエラルキーの順位を転倒したにもかかわらず、本質的には変化していません。

なぜなら、これまでの価値を転倒させるためのものが、また新たな価値を生み出しているからだとアーレントは言います。

 

次にアーレントは、物事に対する関わり方は2つあると言います。それは、

・この世界の物にたいする積極的な係わり方
・観照に至る純粋な思考

この2つの原理は、不死と永遠の違いを考えてみるとわかりやすいようです。

 

不死とは、
・時間における耐久性、死ぬことのない生命のこと
・自然の絶えず循環する生命と神々の不死不老の生命を背景にして立っているのが、死すべき人間である
・宇宙では万物が不死である。しかし、その中で人間だけが死すべきものである。したがって、可死性が人間存在の印となった

 

「宇宙では万物が不死である」というのは、生命が円環のように廻っているということです。
対して、人間の個の生命は終わりがあることからも、直線を辿るということで、他のすべてのものと異なっています。この直線運動は、生物学的生命の円環運動を切断していると言います。

この命の考え方は、仏教の輪廻転生とは異なり、アーレントはキリスト教の教えを主軸にしたと考えられます。

 

永遠とは、

・ソクラテスあるいはプラトンが、形而上学的な思考の中心に永遠なるものを置いた
・永遠なるものにたいする関心と哲学者の生活が、不死への努力(すなわち市民の生活様式である政治的生活)と本性上矛盾し、葛藤を引き起こすものと見られているのは、ただプラトンの場合だけである
・政治的にいえば、死ぬことが「人びとの間にあることを止めること」と同じであるならば、永遠なるものの経験は一種の死である

 

自分が死んだとしても、自分が発見した事柄は永遠に残ります。永遠なるものを見つけようとすることが、観照だといいます。
また、当時古代ローマの人々は、ローマ帝国は永遠に続くと考えていました。そんなローマ帝国の没落から、不変なものはないと気づき、社会よりも観照的ものの見方が重要とされていきます。

 

こういったことから、<活動的生活>と政治的生活は完全に観照の侍女になり下がりました。

 

第一章では、<活動的生活>という事柄を中心に、『人間の条件』の概観を辿りました。
報告内では、ハイデガー『存在と時間』に対応した内容についても触れられていました。

 

 

ディスカッションの時間は、偶数回初回で初参加の方もおり、論点というよりは、読んだ感想が語られることが多かったです。

・今回の内容はさわり、これからが楽しみ
・導入部分で、宇宙、人間が地球に囚われているという話が面白かった
・アーレントの映画も見てみたいと思った

というような感想があがりました。

 

論点としては、「ハイデガーとの対比」や「読んでいてエヴァンゲリオンを思い浮かべた」という話から、「(アニメや映画などの)表現と哲学について」の話が上がっていました。

 

最後には、表現と哲学の関係は面白いねという話になり、今回は幕を閉じました。

 

『人間の条件』は、ドイツ語・英語からの日本語訳があり、今回の課題図書は英語版です。ドイツ語版とは訳し方が異なる部分もあり、照らし合わせて読んでいる参加者も多くいました。
皆さんの哲学レベルがメキメキ上がっていて、私はついていくので精一杯です…!

 

次回、第3回(奇数回)は、4月20日(火)10:30~12:00、『人生の哲学』より、「第2章 生と死を考える(その2) 死を見つめる」を扱います。レジュメ作成と報告は、みらいつくり研究所リサーチフェロー兼ライターの吉成亜実が担当します。

 

第4回(偶数回)は、5月11日(火)10:30~12:00、ハンナ・アレントの『人間の条件』より「第2章 公的領域と私的領域(4~6節)」を扱います。

 

参加希望や、この活動に興味のある方は、下記案内ページより詳細をご確認ください。
皆さまのご参加をお待ちしております。

 

執筆:吉成亜実(みらいつくり研究所 リサーチフェロー兼ライター)

 

 

みらいつくり哲学学校オンラインについてはこちら↓

2021年度哲学学校のお知らせ

 

次回の報告はこちら