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第1回 みらいつくり哲学学校 「生と死を考える(その1) 問題への接近」開催報告

 

2021年4月6日(火) 10:30~12:00、2021年度初回の「みらいつくり哲学学校オンライン」を開催しました。

 

今年度の哲学学校は、火曜日(毎月最終週はお休み)の10:30~12:00に開催します。

昨年度と同様、奇数回と偶数回を交互に行います。奇数回・偶数回合わせて全30回の予定です。

 

奇数回は、渡邊二郎著『人生の哲学』。
偶数回は、ハンナ・アレント著, 清水速雄訳『人間の条件』を課題図書にしています。

当日の大まかな流れや参加方法などの詳細は、本記事末尾のお知らせページより、ご確認ください。

 

 

第1回は、渡邊二郎著『人生の哲学』の第1章部分についてです。

 

今回は、みらいつくり研究所 学びのディレクターの松井翔惟がレジュメ作成・報告を担当してくれました。

テーマは、「生と死を考える(その1) 問題への接近」でした。

 

この章では、生と死を取り巻く諸問題についての概観が扱われていました。

 

生と死の問題として、まず「医学的生物学的な死」の問題があるといいます。

「医学的生物学的な死」の問題とは、医療における死・尊厳死・癌告知・脳死と臓器移植・人命軽視の傾向などが挙げられます。

今日においては、「生と死」の根本を改めて問い直されねばならない状況にきていると筆者は言います。

 

続けて筆者は、それとは別に、「哲学的存在論的な死」の問題次元があることを指摘します。

「哲学的存在論的な死」とは、医学的な心停止などといった死の判断基準ではなく、生命ある「存在」から、生命の「無」い「非存在」へと転化するという見方です。

筆者はこの、「存在・非存在」「有限性」といった「哲学的存在論的」な死の問題こそが、「生と死を考える」視座にほかならないとしています。

 

死に対する精神的態度として、虚無的態度があります。

虚無的態度は、死に関する暗い想念です。こうした感情的反撥や異論は、人間の存在に関する誤解にもとづいており、事態を正しく見ることに失敗しているそうです。

そうではなく、「ひとごとでない死の自覚」や「人生を大切と思う心」、「死にさらされた人生への愛」が重要だと言います。

 

死生観は大まかに、「東洋的死生観」と「西洋的死生観」があります。

東洋的死生観は、主に仏教から来ており、「生への執着を断ち、ある意味生きることを止めた、超然たる放念の態度」で、現世離脱的な超絶的な悟得の人生観です。

西洋的死生観では、ゲーテの「死にさらされた有限の人生を、それにもかかわらず、徹底して、それに内在的に、活動において生き抜くとき、そこに永世の確信さえもが浮かんでくる」という言葉を引用します。これは、活動的人生観といいます。

 

筆者は「活動的人生観からは、現世離脱的な超絶的な悟得の人生観とは異なって、私たちに、現実を直視した、勇気と活力に溢れた思想的態度を教示してくれるように思う。」と考えます。

 

最後に、無常観・厭世観と老境の問題について触れます。

人の胸裡を襲ってくるものは、無常観と厭世観であるとし、古今東西、人生を憂い、嘆く、メランコリーの嗟嘆は数知れません。

また、無常観・厭世観と密接に結びついて、人を憂鬱の気分のなかに追いやるものに、老境の問題があります。

キケロという古代ローマの哲学者は、老境の良さを4つに分けて語っています。

 

・老境の良さ(その1)
老人になり「仕事の処理」から引き離されると、世の中の人は嘆く。
だが、「大事業」は、(若い頃の)「肉体にやどる活気とか突進力とか機動性とか」によってではなく、(老境の)「思慮と貫禄と職見」による。

・老境の良さ(その2)
老境に入ると、「肉体」が「弱め」られると、世の中の人は慨嘆する。
むしろ、「知能の錬磨」、「精神の競技」に「汗を流し、骨を折って」いれば、「肉体的気力の欠乏を覚えることがない」。

・老境の良さ(その3)
老境に達すると、人は「殆ど全部の情欲」が奪い去られると言い、嘆き悲しむ。
「肉情と野望」から離れ、「好学心」をもって、「研究と学問」に勤しめば、「世に閑雅なる老境にもましてよろこばしいものは何ひとつない」のであり、そうした人は、「日に日にあまたまなびつつ老いてゆく」。

・老境の良さ(その4)
老境は、「死」から近いといって、世の中の人は、老境を忌み嫌う。
「死の接近」ということならば、「死はすべての年齢にとって共通なもの」であり、青年とても、これを免れ難いはずである。

 

上記4点から、老いていくことは決して悪いことではないとキケロは言います。
第一章では、このように様々な視点から「死」を見つめ直して終わりました。

 

 

ディスカッションの時間は、今年度初開催で新たに参加して下さった方もおり、それぞれの自己紹介から始まりました。

そこから、

「体調を崩して死を意識したとき、死が怖かった。精神的な面から体調を崩したとき、自分とは違う道に死があるようにみえて恐怖心がなかった」

「友人の死から、死を考えるようになった」

というような死にまつわるエピソードや、

 

「昨年度に比べて、読みやすかった。なぜ死というテーマから始めたのだろう?」

「本来的に、死を受け入れてよりよく生きようと色んな哲学者が言っている。そうではない観方をしている哲学者はいない?」

という今回取り扱った部分の感想が挙がりました。

 

また、「本文であった死生観、皆はどれがあてはまる?」「死を悲しいと感じるか」の2つの論点が挙がりました。

 

最後には、死に関する向き合い方は、死をどう捉えるかによって変わるという話になり、今回は幕を閉じました。

 

 

約2カ月のインターバルを挟み、はじまった今年度の哲学学校。
新たな参加者も交えて、今年度も皆さまと哲学できるのを嬉しく思います!

 

 

次回、第2回(偶数回)は、4月13日(火)10:30~12:00、ハンナ・アレントの『人間の条件』より「第1章 人間の条件」です。
第3回(奇数回)は、4月20日(火)10:30~12:00『人生の哲学』より、「第2章 生と死を考える(その2) 死を見つめる」を扱います。
レジュメ作成と報告は、みらいつくり研究所リサーチフェロー兼ライターの吉成亜実が担当します。

 

参加希望の方や、この活動に興味のある方は、下記案内ページより詳細をご確認ください。
皆さまのご参加をお待ちしております。

 

執筆:吉成亜実(みらいつくり研究所 リサーチフェロー兼ライター)

 

 

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