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第10回 みらいつくり哲学学校 「第3章 労働(13~15節)」開催報告

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2021.7.7

 

2021年7月6日(火) 10:30~12:00、第10回となる「みらいつくり哲学学校オンライン」を開催しました。

偶数回は、ハンナ・アレント著, 清水速雄訳『人間の条件』を課題図書にしています。

 

今回取り扱ったのは、「第3章 労働(13~15節)」でした。

 

これまでも、労働には生きていくこと(生命)が関係しているといわれていました。
また、労働によって生み出されるものは、消費されるもので、世界に残るものではないことから、労働=無世界性であるとしていました。

 

13節は、労働と生命ということで、はじめに生と死についての整理がなされました。

 

人間の生と死は、
・単純な自然の出来事ではない
・それは、ユニークで、他のものと取り換えることのできない、そして繰り返しのきかない実体である個人が、その中に現われ、そしてそこから去ってゆく世界に係わっている
としました。

 

また、我々が住む世界については、下記のように述べます。
・世界は、絶えざる運動の中にあるのではない
・むしろ、それが耐久性をもち、相対的な永続性をもっているからこそ、人間はそこに現われ、そこから消えることができる
・世界は、そこに個人が現れる以前に存在し、彼がそこを去ったのちにも生き残る

 

これらのことから、人間の生と死はこのような世界を前提としているとアーレントは述べます。

 

人間の生命については、ニーチェが残した存在の最高原理である「永劫回帰」でも触れられています。永劫回帰は、生命は現れて消えることを繰り返すという考え方です。

 

一方で、「生命」という言葉を世界に関連づけ、生から死までの期間を意味するように考える場合には、

・生命は、始まりと終わりとによって区切られ、世界における消滅という二つの最高の出来事に制限されて、完全に直線的な運動をたどる
・人間の生命が、出来事に満ちており、その出来事は、最後には物語として語ることのできるものであり、評伝を作り上げることのできるものである
・アリストテレスが「ともかく一種の活動(プラクシス)である」といったのは、単なる生命と区別された生(出来事に満ちていて、物語になるもの)についてである

というような、まったく異なった意味をもちます。

 

ここで、自然というものが出てきます。自然は、
①人間の肉体的機能の循環運動を通して、人間存在における自然を明示する
②人工の世界を老化させたり、衰退させたりして、それにたえず脅威を与える

 

人間における生物学的過程と世界における成長と衰退の過程に共通する特徴は、それらの過程が自然の循環運動の一部であり、無限に繰り返されるということであるといいます。

 

仕事は、その対象物が完成し、物の共通世界に加えられるようになったとき終わるものです。
労働は、常に同じ円環に沿って動き、その円環は生ある有機体の生物学的過程によって定められ、この有機体が死んだときはじめてその「労苦と困難」は終わります。

 

マルクスは、労働を「人間による自然との新陳代謝」と表現しました。

アーレントはマルクスの「労働によって生み出されたものは、すぐに消費される。消費するものによって人間の生命は維持され、それを作るために必要なのは労働力」という考え方を支持しています。

さらにマルクスは、「この消費は、生命過程を再生しつつ、肉体をさらに維持するのに必要な新しい「労働力」を生産(むしろ再生産)する」とも言っています。

 

続いて14節では、労働と繁殖力という話になります。
まず初めに、ロック、アダム・スミス、マルクスという経済学者の労働に関する考え方を見ていきます。

 

ロックが労働はすべての財産の源泉であるということを発見し、アダム・スミスが労働はすべての富の源泉であると述べ、マルクスの「労働のシステム」において労働評価は頂点に達しました。
こうして労働は、すべての生産性の源泉となり、人間の人間性そのものの表現となりました。

 

この3人は、労働は人間の最高の世界建設能力と考えられると主張しました。
これに対してアーレントは、労働は「人間の活動力のうちで最も自然的で、最も非世界的な活動力である」から、3人の主張にはそれぞれある一定の矛盾があると主張します。

 

その矛盾は、彼らが仕事と労働を同一視したために、本来仕事だけがもっているいくつかの能力が労働に与えられたという点にあると言います。

 

これ以外にも、アーレントは様々な角度から3人の労働に関する考えを批判していきます。

この部分のマルクス批判は、アーレントはマルクスを誤読した上で論を進めているという説もあるそうです。

アーレントの誤読についての解説は、アーカイブ動画内(※要登録)でご確認ください。

 

この労働に関する考えに対し、アーレントは下記のような疑問を持ちます。

・ロック以降の後継者たちが、「労働は財産、富、すべての価値の起源であり、結局は、人間の有する人間性そのものの起源である」と考え、頑固に労働にしがみついていたのはなぜか?
・大きな重要性を証明してみせた労働の活動力に固有の経験とはいったいなんだったのか?

続いてマルクスは、労働と生殖は、繁殖力をもつ同一の生命過程の二つの様式であると理解し、それを自分の理論全体の基礎としました。

 

つまり、
・労働:個体の生存を保証する「自分自身の生命の再生産」
・生殖:種の生存を保証する「外来の生命の」生産
であるということです。
また、マルクスによれば、生命の祝福は労働に固有のもので、仕事の中には見いだされないといいます。

 

15節では、財産の私的性格と富ということで、私有財産と労働の関係を見ていきます。

 

ロックは私有財産を、存在するもののうちで最も私的に所有されているものの上に築きました。
最も私的に所有されているものは「人間自身の人格の中にある(人間の)財産」、つまり人間の肉体と言えます。
なぜなら、肉体も手も「神が人びとに共通に与えた」ものを「専有する」ための「手段」であるからです。

 

その考えを発展させたのがマルクスです。
マルクスは、労働生産性と増大する富の漸進的過程を説明しました。この説明のために、肉体の自然力である「労働力」を導入しなければならなかったとアーレントは見ています。

 

近代全体を通じて、私有財産制をしっかりと保持する(資本主義経済)か、それとも、私有財産はむしろ富の増大の障害物であり、富の過程を阻止し、統制するものである(社会主義・共産主義)と考えるかは、社会の生命そのものを破壊するかどうかという企てに等しかったと述べます。

 

また、労働とは苦痛を伴うことからも、無世界性の経験(苦痛の中に現われる世界喪失)に厳密に対応している唯一の活動であり、自己の生命と種の生命という二つの生命を再生産する苦痛に満ちた努力だと言えます。

 

かつて、財産所有者の社会では、人間の配慮と懸念の中心にあるのは依然として世界であって、自然の豊かさでもなければ生命の純粋な必要ではありませんでした。

 

主要な関心の対象が財産から、富の増大と蓄積の過程そのものに移る場合には、無限性という特徴を持つようになります。

 

それによって、「社会全体の生命が蓄積過程の巨大な主体であると考えられ、この過程は、個人の寿命と個人が所有する財産によって押しつけられる制限から解放されて、完全に自由となり、全速力でその進路を進むことができる」と言います。

今回はこのように、3人の経済学者などの考えから労働について掘り下げていきました。

 

 

ディスカッションの時間は、今回は内容がとても難しかったこともあり、本文中の単語や部分的な意味を考えることが多かったです。

 

肉体の境界線という言葉から、当事者研究を行っている熊谷先生の「障害は自身の皮膚の中ではなく、外にあるものである」という言葉を連想し、障害の社会モデルを思い浮かべたという方がいました。

また、「労働と生殖」「労働と幸運」などを関連付けた論が進められるが、それらが同列視されているのはなぜかという疑問や、この本を読み込むには「自然と人工」について考えることが大切ではないかという話になりました。

それ以外にも、アーレントの「労働」と「仕事」と「活動」の区別について、様々な論点も挙がりました。
その人によって、自分の行っていることをどの様に捉えるかは変わるよねという話もありました。

 

皆さんが現在主に行っていることは、生きるために行う「労働」、作品を生み出す「仕事」、人と人とで行う「活動」、どれに当てはまると思いますか?

 

次回、第11回(奇数回)は、7月13日(火)10:30~12:00『人生の哲学』より、「第6章 愛の深さ(その3) 愛の諸相」を扱います。レジュメ作成と報告は、家庭医の大久保先生が担当します。
第12回(偶数回)は、7月20日(火)10:30~12:00、ハンナ・アレントの『人間の条件』より「第3章 労働(16~18節)」を扱います。

 

8月10日には、夏休み特別編として、哲学学校自由研究を開催予定です。
「美とは何だろうか」というテーマで話し合う時間になりそうです。興味のある方は是非、ご参加ください。
詳細は、こちらのURLからご確認ください。

 

参加希望や、この活動に興味のある方は、下記案内ページより詳細をご確認ください。
皆さまのご参加をお待ちしております。

 

執筆:吉成亜実(みらいつくり研究所 リサーチフェロー兼ライター)

 

 

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