Works

はたらき方の研究 vol.1

はたらくことの豊かさについて

 今年4月、新型コロナウィルス感染症にもとづく緊急事態宣言が北海道に出されてから、わたしたち稲生会でもその対策の一環として分散勤務が取り入れられた。公共交通機関ユーザーは、引き継ぎもそこそこにいつ終わるか知れない在宅勤務に突入した。

 わたしたちが公的サービスとして提供しているのは医療と看護、そして障害福祉に相談支援である。みな人と人の接触を前提にするものばかり。家でいったい何ができるというのか。そう感じたものも少なくなかったと思う。

 事務所に集りすぎることなく、かといってこれまでどおりのサービスは続けること。コロナが挑んできた今までにないこの奇抜な課題は、結果的に、鮮やかにも仕事に対するたくさんの「思い込み」の転換をもたらした。

 仕事は事務所や訪問先でするものという「場所」に対する思い込み。仕事は勤務時間内に行うものという「時間」に対する固定観念。直接会って会話しなければすれ違いが生じるという「オフライン対話」への執着。つまりは、みんなが集まる事務所に行かないことは、仕事をしていないのと同じこと。私自身も、在宅ワークを始めた当初は少なからずの後ろめたさと他のスタッフのへの申し訳なさを感じていた。

 ところがひとたび在宅で仕事をしてみれば、それがどんなに偏った思い込みだったかを思い知らされることになった。思えば当たり前のことだが、通勤時間が節約できる。さっきまで朝食を食べていたテーブルで、すぐに仕事が始められる。毎日2時間も割いてきた往復の時間は、まさに自分のために使うことのできる余白になる。環境さえ整えば、仕事の能率はむしろ自宅で行ったほうが向上する。オンラインミーティングでも、必要十分なコミュニケーションはとれるということに気づく(そもそもすれ違うか否かは相手との関係性の問題であって、対話の方法によって変わるものではないのだ)。どこでどれだけの時間をかけたのかということよりも、むしろ何をやったかを重視する意識がみずから働くようになる。そして、物事を自分ひとりで判断する機会が多くなる。自分で1日のノルマを決めてスケジュールを作って終了する。誰も見ていないなかで、誰に言われることもなく自分でその判断をこなしていく。あらためて「個」としての存在を、自分で見つめ直す時間になるともいえるかもしれない。つまりは、新しく生まれた余白がどれだけ自分の生活を豊かにするのかを実感する機会となる。

 当法人で5月に実施した分散出勤開始後1ヶ月目の全職員アンケート調査(回収率93%)では、9割を超える職員が「全面的あるいは部分的でも在宅ワークを今後も継続したい」と回答した。この間、事務所への出勤がほとんどなかった職員のなかでは10割にのぼった。

 コロナは、人生のなかで大半の場所と時間を支配してきた「職場」から、束の間でもわたしたちを解放した。その存在に自分たちがどれだけ縛られて生きてきたのか、わたしたちは気付いたのだ。働くことと人生を豊かに生きることは同時並行的に実現可能である。豊かなはたらき方を実現する環境をどう整えていくのか。「思い込み」から解放されたわたしたちに新たに求められるのは、この答えをこれからも考えつづける姿勢だ。

2020年6月4日 高波千代子