2020年5月19日(火)
本日2020年5月19日(火) 10:30~12:00で、第2回となる「みらいつくり哲学学校オンライン」を開催しました。今回も、全国から10名の参加がありました。
偶数回では、マルティン・ハイデガーの『存在と時間』を課題図書として扱います。奇数回の『生きる場からの哲学入門』と違い、ゴリゴリ(笑)の哲学書なので、誰も参加してくれないんじゃないかな・・・と思っていましたが、「まさに読みたいと思っていた本だった」「ずっと読みたいと思っていたが取り組めずにいた」という方がけっこういらっしゃいました。
今回は、イントロダクションということで、『存在と時間』という本の説明や、今後の進め方について話し合いました。
『存在と時間』は、ドイツの哲学者マルティン・ハイデガーの主著です。
本来であれば二部構成だったはずのものですが、教授に就任するためという必要性によって、未完の状態で1927年に公刊されます。
ちなみに、ハイデガーの当初の構想はこんな感じ(中公クラシックス版、第8節より)
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第1部 時間性をめがける現存在の学的解釈と、存在への問いの超越論的地平としての時間の究明
第1篇 現存在の予備的な基礎的分析
第2篇 現存在と時間性
第3篇 時間と存在
第2部 存在時性の問題性を手引きとする存在論の歴史の現象学的破壊の要綱
第1篇 存在時性の問題性の前段階としての、カントの図式論と時間論
第2篇 デカルトの「我思考ス、我存在ス」の存在論的基礎と、「思考スルモノ」の問題性のうちへの中世存在論の引き受け
第3篇 古代存在論の現象的土台と限界との判別基準としての、時間に関するアリストテレスの論述
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この時点で、??????????って感じですよね(笑)
上記の構想のうち、第1部第2篇までしか書かれていない状態で公刊されたのです。
にも関わらず、『存在と時間』は世界的にものすごい影響を及ぼし、ハイデガーは一気に「世界の大哲学者」の一人になります。
ハイデガーはその後、第二次世界大戦中にナチスと関わり、戦後は一時期教授としての権利を剥奪されたりするなど、なかなかに大変な時期を過ごします。
ただ、ハイデガーによる「存在への思索」は生涯やむことはありませんでした。
今回の対話は、「なぜ哲学学校に参加したか」というメンバーの一人の問いかけから始まりました。
他の人と意見を交わすのが好きだから、研究を行っている過程で最終的には哲学にいくしかないと思ったから、最近会社を退職して昔挑戦したけど挫折した本をたくさん発見してまた挑戦したいと思ったから、数年前に家族を亡くして「生きる」ことについて考えるようになり哲学がヒントになるかもしれないと思ったから、もともと「方法としての哲学」が好きだったから、「教える人-教えられる人という二元論」を乗り越えるために存在論を学ぶ必要があると思ったから、などなど、皆さん様々な理由で参加してくださったようです。
その後、話は「ハイデガーと中世存在論/キリスト教との関係」へ。参加者にクリスチャンが多かったこともあり、そういう質問が出ました。これについては、本来は第2部第2篇で取り扱われる構想でしたが、結局ハイデガーは『存在と時間』を完成させることを断念します。
ただ、未刊部の第1部第3篇と第2部については、既刊部が公刊された1927年にハイデガーが行った講義で、その構想について話されています。この講義の内容は、『現象学の根本問題』としてまとめられ、日本語訳も出ています。この本を翻訳した著明なハイデガー哲学者である木田元さんは、岩波現代文庫で「ハイデガー『存在と時間』の構築」という本を出されており、未刊部分を含めた『存在と時間』をハイデガーに代わって再構成するという試みをしています。こちらはそれほど厚く無い本なので、ご関心のある人は読んでみてください。
次回の偶数回、第4回は2週間後の6月2日(火) 10:30~12:00で開催予定です。
次回は、第1部に入る前の「序論」を扱います。
課題図書は読めないけどその時だけ参加したい、録画を観て勉強したいという方もご連絡ください。
その前の奇数回、第3回は前回と同じ時間帯で、5月28日(木) 13:30~15:00で開催します。
こちらは『生きる場からの哲学入門』の第Ⅰ部第1講「民衆思想とその方法について」(花崎皋平さん)を読みます。
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