古典を読む。
世界を旅する。
みらいをつくる。
第37回みらいつくり読書会を開催しました。
【日時】
2021年11月29日(月)16:00〜17:00
【課題図書】
シャーウッド・アンダーソン『ワインズバーグ、オハイオ』
【参加者】
7名(うちラジオ参加4名)
【板書記録】
アメリカ文学第7弾はシャーウッド・アンダーソン『ワインズバーグ、オハイオ』でした。
ある参加者は、「大人の渋さ」とこの作品をおすすめしてくれました。
『ワインズバーグ、オハイオ』を楽しく読めた私は大人になれているのかもしれません。
アメリカ、オハイオ州にある架空の街「ワインズバーグ」での出来事が短編で綴られています。
今回から、読書会に中学生が参加するとのことでしたが、私はこの作品を読みながら「参加すると話していた中学生は大丈夫だろうか…」と何度も思いました。
そこに描かれていたのは、「地方の暮らし」です。
戦争や急激な経済発展などの大きな潮流。それらに対して「地方の暮らし」は無力な場合が多いように思います。
私は昭和の終わりに生まれましたが、「バブルがはじけた」という言説を耳にしながら育ちました。私は、テレビで時折思い出したようにして描かれる「昭和」「バブル」の様子を目にしてきたのです。ある時、私は母に「バブルってどんな感じだったの?」と聞いたことがあります。私の母は「田舎に住んでいた私にとって、バブルなんてなかった」と言いました。そんな母の話を思い出しました。
各短編で語られるのは、「地方に生きるいびつな人たち」です。
ここに描かれた「地方で生きるいびつな人たち」の反対言葉は「都市で生きる洗練された人たち」だと思います。
「都市にいる人たちは洗練されている」と言われれば聞こえはいいけれど、それは都市に暮らすそれぞれが置き換え可能になってしまっているとも言えます。ここに描かれている人たちは「生きづらさ」を抱えています。私はその「生きづらさ」ゆえにそれぞれの登場人物がいとおしいのだと思いました。私もその短編の一つとして、いびつな人の一人として生きたいとすら思いました。
そんな短編がパズルのピースのように集まっていますが、各章を集めてみても空白がたくさんあります。
ここには描かれなかった、いとおしくていびつな人たちがたくさんいたはずです。
そして「ワインズバーグ」では描かれようのない「都市の暮らし」も同時代にありました。
全てを描くのではなく、描かれなかったものとはなにかを想像させる、それがこの作品のすごさだと私は思いました。
『ワインズバーグ、オハイオ』で描かれる「地方の暮らし」には「哀しさ」と「いとおしさ」が描かれていました。
みらいつくり研究所 松井
【事務局】
みらいつくり研究所 松井
(matsui-ka@kjnet.onmicrosoft.com)
*ラジオ参加も大歓迎!
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そんなみなさんにおすすめの「ラジオ参加」。
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そんな「学び」があっていい。そんな「参加」があっていい。
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