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みらいつくり食堂リレーエッセイ No.001

『食とわたし』

管理栄養士 久保香苗

管理栄養士を目指したのは、いつの頃だろうか。
幼い頃から両親は共働きで、食と言えば調理師だった祖母が作ってくれた食事を思い出す。
学校の帰り道、祖母はわたしが帰ってくる時間になると、家の窓から顔を出して迎えてくれる。

「おばあちゃん、今日のご飯はな~に?」

「ハンバーグだよー!」

「えー!どうして食べたいものがわかるの?魔法みたい!」

祖母が居ないときには、祖父が作ってくれるポークソテーと玉ねぎのケチャップ炒めが定番。
たまに作ってくれるおじいちゃんの味にドキドキしたけれど、それも美味しかった。
両親は夕飯を食べ終わったあとに帰ってくるので、幼少期の思い出の味といえば祖母のご飯だった。
そんな祖母が、日頃から「栄養士さんていい仕事なんだって~。かなちゃんも栄養士になったらいいよ~」と言うようになった。高校生のわたしは特段なりたいものがあるわけでもなく、日頃から聞かされていた『栄養士』というワードに興味を持った。そういえば、小学生の頃に何度か入院し、楽しみと言えば病院から提供される食事だった。料理を作ることが得意なわけではないが、嫌いでもない。
母は心臓の持病があるし、父も高血圧だし…そんな理由をつけながら、何となく『栄養専門の大学でいっか‥』そう思った。
そうして、栄養学を専門に学べる大学へと進学し、管理栄養士を目指すこととなる。両親ともに公務員だったため、安定を求めて学校や保健所の栄養士になろうと思っていた。ところが、3年生の頃の病院実習で病院栄養士の面白さを知った。天職だと思いそのまま実習先の病院に就職し、晴れて管理栄養士デビューとなった。

 

初めての社会人…とにかく先輩が怖い。それでも、学ぶことは多かったし当時は朝5時に出勤し、病院食の調理や盛り付けもおこなっていた。やたらと切りものが速いベテラン主婦の調理員に、玉ねぎの皮むきが遅いと怒られた。一度に300食以上をつくり自分の腕に自信がある個性派の調理師には、栄養士の献立は不味いとよく噛みつかれた。いつも食事の提供時間は慌ただしく戦場のようであった。ひとつひとつ、食事内容に間違いが無いかチェックするが、異物の混入や禁止食品が誤って提供されることもあり配膳後の電話にはいつもヒヤヒヤしていた。給食業務が続く中、わたしは病棟に出て患者さんに会いたいと思っていた。管理栄養士の仕事は、給食管理業務のほか外来での栄養指導、入院患者への嗜好や食物アレルギーの確認、栄養状態の把握や病態に合った食事の提供、本人や家族への食事指導など多岐にわたるが、病棟の業務はある程度経験が必要なため先輩栄養士が担当することが多かった。ただし、入院中に食事の献立表を持っていく時が唯一病棟で患者さんと話すことができる機会だった。
そこで出会ったCOPD(慢性閉塞性肺疾患)の患者さん。呼吸が苦しくて食事が食べられずとても痩せていた。
わたしは『何とかしなくては‥』と思い食べれそうなものを伺い、それが提供できないか先輩に伝えたが『できない』との返答だった。病院食は治療の一環のため、基本的に主治医の許可がないと変更できない。一か月後に病棟での栄養カンファレンスがあるのでそれまで待つように言われたが、一か月もお腹を空かせている患者さんを想像すると居ても立ってもいられなかった。結局、当時のわたしにはどうすることもできず、とても悔しい思いだけが残っている。

 

その後、循環器専門の病院に転職し、比較的はやく病棟を任されることになった。上司は厳しかったが愛とユーモアのある人で、先輩も優しくて面倒見がよく毎日働くことが楽しくなった。以前の悔しい思い出があるので、下膳された食事をチェックしては残食が多い患者さんのもとへ駆けつけた。刺身、アイス、団子、フライドチキン…患者さんが食べられそうと言ったものは、当日か翌日までに必ず出すようにした(当時の病院のシステムや調理師さんの協力なしにはできなかったので、とても感謝しています)。とにかく、食べられなかったり栄養状態が悪い患者さんには直ぐに対応したいし、病室に何度も通ってどうにかできないかアレコレ考えていた。(のちに土畠理事長から栄養弾丸娘とあだ名がつけられたが、そのルーツはここにある)

 

そんなわたしが、今は『みらいつくり食堂』で元患者さんのお母さんで娘を亡くしたツネコさん、地域ボランティアのみなさん、患者さんご家族と一緒にご飯をつくったりしている。
病院時代の栄養士業務とは違う畑だが、それがまた楽しい。
何気ない会話の中に新たな気付きや発見があり、病院時代の殻を被ったわたしを少しづつ成長させてくれている。
『食』を通じて多くの出会いや繋がりが生まれ、いつしか私の思い出の味は祖母のご飯だけでなく、食堂でふるまわれた沢山のおふくろの味となった。
ツネコさんがつくる酢の物、ボランティアのいづみさん、ちえみさんの卵入りコロッケ、宮田さんの野菜たっぷりラーメン、松井くんの厚焼き玉子と鶏団子汁…。
治療のための食ではない、楽しむための食、美味しいを共感できる食、人生を共にする食。
数えきれないほど、わたしの中の『一緒につくる食』が大きな存在となっている。

 

このエッセイを書きながら、むかし母と一緒につくったきな粉クッキーの味を思い出した。素朴だけれど、大好きな味だった。