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連載「働くことを考える」 第2回 「私」と「働く」②

2021.3.3

第2回 「私」と「働く」②

 

連載【働くことを考える】では、「障害」と「働く」をテーマに、障害がある中で働くということ、社会や制度の現状、今後の可能性などについてを考えていきます。

 

前回は、私が今行っている仕事の紹介とその仕事を始めるまでの経緯をお伝えしました。
連載2回目となる今回は、働く中で私が感じていることについて、いくつかのトピックに分けて掘り下げていきたいと思います。

 

 

・なぜ働くのか

 

第1回冒頭の「何のために働いているのか」という疑問について、私だったらどう答えるでしょうか。

これは「病院にいた頃の私」と、現在の「地域で生活している私」では考え方が違います。

 

病院にいた頃の私は、「外部のつながりのため」と答えると思います。病院の中では、金銭的に生活に困ることはほとんどありませんでした。よっぽど無駄遣いをしない限りは生活を送ることができるし、そもそも外に出る機会も少なかったので、お金を使うことがめったにありませんでした。

 

そのため、差し迫って働かなければいけないという状況ではなかったといえます。ですが、何らかの形で外部との繋がりは持っていたいと考え、細々と仕事を続けていました。

 

一方で現在の私は、端的に言うと「生活のため」に働いています。

 

年金や各種手当で生活するのが不可能というわけではありませんが、かといって充分に安定した生活ができるかというとそうでもありません。

 

家電が壊れた時など、何かあった時に突然大きなお金が必要になることも想定されます。それ以外にも、外出の機会などが増えた分出費も増えていくと思います。

 

そういう意味では、病院にいた頃よりも今は切実にお金を稼ぐ必要が出てきたかもしれません。

 

どうしても働くことが難しいとなれば、生活保護を受給するという方法もあります。

 

でも今は、ある程度活動する余裕もあるので、続けられる限り働いていたいと考えています。

 

 

・働く上での課題

 

私のような重度障害者が働くにあたってどんな課題があるのでしょうか。

 

おそらくたくさんの課題があると思いますが、現時点で私の思いつく範囲での課題を挙げてみたいと思います。

 

 

①現行制度上、重度訪問介護利用中は働くことができない

 

重度障害のある方が地域で生活していくためには、日常生活において介助を受ける必要があります。公的な制度で介助を受けるには、「重度訪問介護」という制度を利用します。

 

重度訪問介護を利用すれば、行政が定めた時間数分の介助者が派遣されて、食事や更衣や入浴などの日常生活の援助を受けることができます。

 

日常生活に必要な“ほぼ”全ての事柄に対しての支援を受けることができるので、重度障害のある方の多くはこの制度を活用して地域で生活しています。

 

この制度は、基本的に就労や就学に関わる内容で利用することができません。つまり私が働いている時は、介助者にいてもらうことができないということです。

 

マウスの操作と車椅子の操作くらいしかできない私が、働いているからといって一人で過ごすのはとても大変です。仕事中も体の位置をずらしたくなったり、水分を取りたくなったり、介助を必要とする場面はたくさんあります。

 

現在は、そもそも日中はほとんど介助者が入っていなかったため、その誰もいない時間に仕事をしています。

 

今後は介助者が24時間入れる体制になっていく予定なので、どうしたものかと考えています。

 

これらの問題に対して、介助者に対して支払う料金を企業が負担し、その企業の負担分を政府や地方自治体が支援するような制度もあるそうです。詳細については、おいおい調べてまとめたいと思っていますが、私の現状(様々なところから報酬をもらう形)ではなかなか利用が難しいように思います。

 

介助者に私の仕事自体(この記事を書いてもらうとか)をしてもらうことはアウトだと思いますが、仕事の内容以外に必要な事柄については、 重度訪問介護として利用できればいいなというのが今の私の気持ちです。

 

重度訪問介護利用中の就労問題については、れいわ新撰組の木村英子さんや船後靖彦さんも国会議員として働き始める前に問題提起していました。

 

 

②そもそも障害があるという状況で雇ってくれる雇用先がない

 

前回、私は繋がりから始まって現在のような仕事をしているという話をしました。

 

これがもし、一般就労として全く繋がりのない企業に就職活動を行ったとしたら、私を雇ってくれる企業はあるのでしょうか?

 

こればかりは、実際にしたことがないので何とも言えませんが、とてもハードルが高いのは容易に想像がつきます。

 

「通勤やトイレ、食事などが自分で行うことができるのであれば…」「時短勤務には対応していなくて…」というように、様々なニーズのある障害者を雇おうとする雇用先はとても少ないように感じます。また、就職活動に関して言えば、自分の障害の状況や必要な支援などを詳細に説明できる技術が求められています。

 

一般就労については、障害者の就労に関するシンポジウムで、当事者の方のお話を聞いたので今後の連載で改めて触れたいと思います。

 

 

③当たり前の働き方による弊害

 

障害の程度や状態によって、できることや必要な支援は変わってきます。

 

②でも出てきましたが、障害のある方にとって「通勤やトイレ、食事などが自分でできる」「1日8時間勤務」「週5日」というような一般的な働き方で仕事をしていくのは難しいです。

 

私自身、フルタイムで働くことは到底不可能です。それに加えて仕事中の介助も必要ですし、業務内容もできることは限られています。
この「一般的な働き方」に自分が合わせることができない場合、途端に仕事をすることが難しくなってしまいます。

 

現在は、コロナウイルスの影響もあり全ての人が通勤に対するハードルが上がり、テレワークという新しい働き方が急速に浸透しました。
このような慣習や常識にとらわれない柔軟な働き方が可能になれば、障害の有無に関わらず様々な人が、より働きやすくなるのではないかと思います。

 

 

④ そもそも生活が大変で仕事をする余裕がない

 

障害がある中で生活をするというのは、様々な困難さがあります。
人によっては健康状態を維持するということが大変な方もいますし、日々の生活をコーディネートするためには、たくさんの労力を必要とします。

 

生きているだけでもたくさんのハードルがある中で、働くということも同時並行で行うのは、とても大変です。

 

生活に関する様々なハードルを少しでも下げていくことも、障害がある人が働くための重要な課題の1つだと思います。

 

これらの課題については、今後の連載でも触れていく予定です。

 

 

・不安

 

課題以外にも、仕事を続けていくにあたっての不安もあります。

 

病気の進行や体調の影響で、いつまで今のように仕事が続けられるかわからない。というのが一番不安です。

 

また、少なからず生活がかかっているため、働いてお金を稼ぎ続けなければいけないというプレッシャーのようなものもあります。

 

これらの不安は「障害の有無に関わらず」誰でも持つことといえます。ですが、誰でも持ちうるこの不安が、“現実になる可能性”は障害のない人々より圧倒的に高いと思います。

 

体の老化に加えて病気の進行もあることから、継続していくことに関する不安が多くあります。

 

急な体調の変化も含めて、不安を少しでも減らすには、理解のある職場で働けるかどうかが重要そうです。

 

 

・いい影響

 

ここまでネガティブな話が多かったですが、もちろん仕事をしていて良かったこともあります。

 

それはいくつかありますが、居場所が増えるということが一番のポイントかと思います。

 

生活のコミュニティの外に、仕事に関する人々とのコミュニティが別にあるというのは、重要なことだと思います。

 

何か新しい出会いや発見につながることもあれば、自分のいる生活のコミュニティに何か困難さを感じている場合には、逃げ場にもなります。

 

また、依頼された事柄を達成して、報酬や称賛など何らかの形で成果が得られるということは自信にもつながりますし、今後も続けていきたいというモチベーションになります。

 

 

・今後の話

 

通信制大学の勉強も並行しながら新しい生活を始めたばかりなので、今は仕事というものにそこまで長い時間を割くことができません。
通信制大学の卒業まであと数年はありますが、大学での勉強が終わったら本格的に(無理のない程度に)仕事をして、より生活を安定させていけるようになればいいなと思っています。

 

先ほど挙げた課題や不安もある中で、どのように仕事を続けていくのか、今後も引き続き考えていきたいと思っています。

 

 

今回はざっくばらんに、働く中で私が感じていることについてお話しました。

 

 

次回は、

 

『障害者にとって「働くこと」や「生きること」について考える ~「働く」ときの介護保障や合理的配慮と、「生産性」優位社会について~』

 

という、昨年行われたシンポジウムの報告をします。

 

 

執筆:吉成亜実(みらいつくり研究所 リサーチフェロー兼ライター)