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第31回 みらいつくり哲学学校 「抽象と具体の狭間から」 開催報告

2020年12月10日(木) 10:30~12:00、第31回となる「みらいつくり哲学学校オンライン」を開催しました。

 

奇数回は、大阪哲学学校編『生きる場からの哲学入門』を課題図書にしています。

 

今回は、みらいつくり研究所 学びのディレクターの松井翔惟がレジュメ作成および報告を担当してくれました。

 

テーマは、「抽象と具体の狭間から」でした。

 

筆者は、自身の思索や生活体験からも振り返りつつ、抽象性と具体性の狭間で格闘し続けている人間たちの現実を哲学していきます。

 

初めに「数学挫折」体験についての話題から始まります。

 

筆者は数学の根本原理に熱中するあまり、教科書に載っていない知識はあるのに、初歩的な試験問題が解答できなくなって数学に挫折したそうです。

 

筆者のような特殊な理由以外にも、「数学の先生が嫌いだった」、「分母の異なる分数の足し算で挫折」、「優秀な成績で数学の研究に勤しんでも、上には上がいると気付き挫折」など沢山の挫折理由が考えられます。

 

筆者は「人はみな数学に挫折する」というのは経験的事実としてかなり信憑性が高いといいます。

 

人によって様々理由があり具体的で、そもそも挫折とは何かと明確に定義できないにもかかわらず、「数学挫折」という言葉を人々は共通に理解・認識できる。そういった曖昧な分析的思考にはなり得ない事柄は、ある種の抽象といえます。

 

抽象とは何でしょうか?論理学では明確に答えられていませんが、「区別・非区別」「対応づけ(写像)」がキー概念になっているようです。区別は具体、非区別は抽象ともいえます。

 

また、知識は以下の2つに分類できます。

 

概括的法則的な知識:どのようなことが成立しているのかについて述べるもの

 

歴史地理的な知識:具体的な事実として、何はいつどこでどうであったのか述べるもの

 

概括的法則的な知識は抽象、歴史地理的な知識は具体ととらえることもできます。

 

概括的法則的知識(抽象)は歴史地理的知識(具体)を分析・整理・統合する過程で抽出され組み上げられて成立するという側面があります。その一方、歴史地理的知識(具体)が概括的法則的知識(抽象)を媒介に導出される側面も多くあります。このように抽象と具体は、連関関係にいるといえます。

 

物理学の分野は観測事実に対しての厳格性が備えられており、抽象性が高いものです。そこに魅力を感じた筆者が学んだ相対性理論でも、「具体と抽象」という問題意識が浮かんだそうです。

 

物理学は抽象化され、個人の関心や文化的な事柄など具体的なものを一切排除したものですが、例えば原子核分離学などを全く知らない人でも、「被爆」というトピックについて議論は出来ます。

 

このように抽象化された事柄であっても、個人の生活(具体)に影響を及ぼす具体的問題として現れる事があります。

 

また、筆者が就職したソフトウェア会社でも、抽象的な機能を担うハードウェアと具体的な機能を担うソフトウェアという「具体と抽象」の関係が見つけられたそうです。

 

それ以外にも労働をする中で、労働は「具体化と抽象化が重なる形をした具体性で達成される。そして抽象化で継承されていく」ということに気づき、抽象化も具体化も「人間のパワー」に関わるのではないかと述べました。

 

人間のパワー(権力といったりもする)獲得の有力手段を担ってきたものは、貨幣といえます。「貨幣」がパワー獲得の手段となり得るのは、その抽象性に具体化できる保証があるからです。

 

宗教、政治理念、文化的価値観に関わるようなものにおいても、抽象観念は具体性と結びつくときにパワーを振舞うと筆者は主張します。

生きる(=生活する)ということは、常に具体的です。抽象的、普遍的人生を送っている人などおらず、人は抽象性を手がかりにして他人と繋がります。このように人々はつねに抽象と具体の狭間で揺れ動いています。そんな人々に対して、「えも言われぬ愛着を覚えたりしている自分を感じている」として、筆者の抽象と具体についての哲学は締めくくられました。

 

 

 

ディスカッションの内容は、「数学挫折」の話題からスタートしました。参加者のほとんどが、どこかで数学に挫折した経験があるようです。

 

また、概括的法則的知識(抽象)と歴史地理的知識(具体)の関係についての話題から、「建築と抽象・具体の関係性」や、「貨幣は保証があるから、パワーを持つ。宗教は保証はないのにパワーがあるのはなぜ?」という疑問が出ました。先日開催された宗教学の内容も踏まえ、「宗教では安心という部分が保証と同義になるのでは?」といった意見も出たりしました。

 

障害について「人に理解してもらうために話す」時には、抽象・具体どういった手段を用いるかという話題にもなりました。脳性麻痺の小児科医である熊谷晋一郎先生は、抽象的な言葉を用いて伝えることが多い中、ある障害当事者の参加者は「具体的な話や例えを用いることが多い」という話や、別の障害当事者の方からは「共感してもらえるようにと考えて話す」といった話が出てきました。

 

最終的には本文にもあった通り、どんなことでも具体と抽象を行ったり来たりするのだろうという話になり、幕を閉じました。

 

皆さまは数学挫折の経験はありますか?私は小学校の頃、「割り算のひっ算」の形式がどうしても理解できず戸惑っていた時、友人に「とにかくそういうものなの!」と強制的に理解させられた?時から、苦手意識を持った気がします…。

 

次回、第32回(偶数回)は、12月15日(火)10:30~12:00ハイデガーの『存在と時間』より、第2篇第4章 時間性と日常性 後半(第69~71節)です。

 

第33回(奇数回)は、12月22日(火)10:30~12:00『生きる場からの哲学入門』より、「尊厳論エッセンス」を扱います。
レジュメ作成と報告は、哲学学校の共同主催者である障害当事者のあいさんが担当してくれます。

 

当日参加だけでなく、希望があればアーカイブ動画も共有できます。ぜひ、ご連絡ください。
皆さまのご参加をお待ちしております。

 

 

今のところの予定は

 

第32回 12/15(火) 10:30-12:00

第33回 12/22(火) 10:30-12:00

第34回 2021/1/7(木) 10:30-12:00

第35回 1/14(木) 10:30-12:00 (奇数回最終回)

第36回 1/21(木) 10:30-12:00  (偶数回最終回)

となっています。

 

哲学学校は、来年度も開催予定です。

 

今年度同様、奇数回と偶数回にわけて開催しようと思っていますが、来年度はもう少しゆっくり、隔週の開催にしようと考えています。

 

奇数回の「哲学入門」については、今年度の偶数回で扱ったハイデガーの『存在と時間』の訳者(中公クラシックス版)である渡邊二郎さんの『人生の哲学』(角川ソフィア文庫,2020年)を課題図書にしようと思っています。「人生の根本問題に向けて」というテーマで、全15回、「生と死を考える」「愛の深さ」「自己と他者」「幸福論の射程」「生きがいへの問い」という5つのカテゴリーで、ハイデガーをはじめとした様々な哲学に言及しながら書かれています。

 

偶数回の「哲学書」については、ハンナ・アーレントの『人間の条件』(志水速雄訳,ちくま学芸文庫, 1994年) にしようと思っています。

(ドイツ語からの訳書は『活動的生』森一郎訳, みすず書房, 2015年)

 

今年度のハイデガーの「弟子」でもあり「愛人」でもあった、こちらも20世紀を代表する哲学者/政治学者/社会学者であるアーレントの代表作ですね。

 

『存在と時間』よりは非常に読みやすい本だと思います。

 

 

執筆:吉成亜実(みらいつくり研究所 リサーチフェロー兼ライター)

 

 

 

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