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第12回みらいつくり読書会 開催報告

みらいつくり大学校企画
第12回みらいつくり読書会@zoom

【課題図書】
ヘルマン・ヘッセ『漂泊の魂』

【実施日時】
2020/9/23 10:00~11:00

【参加者】
A,B,C,D (+ラジオ参加1名) 全5名

【内容】
A:寅さんかなと思いました。イケメンの寅さんだと思いました。寅さんってこんなに複数の女性に想いを寄せられることはないですよね。この時代にもこうやって放浪する人がいたんだなと思いながら読みました。最後に神様とお話をしながら静かに終わります。自分に素直に生きるとこういう感じなんだなと思いました。クヌルプは、何のしがらみもなく自由に生きている人なんだと思いました。食べたい時に食べて、出ていきたい時に出ていく。人間関係の煩わしさも無い。でも孤独を最後に感じるということは、人間はしがらみとか煩わしさとか面倒くささとか、そういうことがあったとしても、必ずしも孤独ではないんだなと思いました。夫婦関係もそうだし、親子関係もそうだけれど、「なんて面倒くさいんだ」とか「鬱陶しいな」と思うことがあるけれど、それは孤独ではないんだなと考えました。一人じゃない。自分のどんな姿を見せても結局はそばにいることができる。居続けることができる。それって貴重だし安心だと思いました。自由に生きるということは、孤独と隣り合わせなんだと思いました。結論は「寅さん」ということですね。
B:私は、しがらみという意味では、クヌルプはむしろしがらみの中にいるような気がして読みました。過去にすごく引きずられている。作品全体としては、季節の描写が綺麗だと思いました。『東方への旅』も早く読みたいなと思いました。春・夏・秋・冬と季節が並べられていて、人生とも重ねられていました。だから夏には青春時代のことが書かれているんだろうと思います。そんな描き方も面白いなと思いました。旅人であるクヌルプと定職についている人たちとが比較されながら物語は進んでいきます。そしてクヌルプは最後には神と語ります。自分の人生の意味とは何だったのかと語るわけです。旅人であった自分の人生の意味を語ります。人生を通して、自由とは何か、美しさとは何か、といったことを世の中に示すということが目的だったと思います。それらには感動をしました。
C:Aさんが「寅さん」と言っていて、確かにと思いました。寅さんって、トリックスターですよね。トリックスターという言葉はユングが言ったんでしたっけ?システムの外で生きることでシステムを相対化するという、物語をつくるときの一つの役割を担う人のことです。クヌルプはトリックスターという意味で、寅さんと共通しているなと思いました。トリックスターというものが最後に肯定されるというところに、この物語の救済があると思うんです。ヘッセの他の作品では『デミアン』『荒野の狼』を読んでいます。基本的にはヘルマン・ヘッセは病んだ人の話が多いです。病んだ人の病の中から、illnessの中から出てくる真実を病んだ人に語らせるということを、ヘッセは一つの手法として持っています。このクヌルプはシステムの中で生きられない人を肯定するという役割を担っていると思いました。
D:僕はクヌルプの人生が肯定されて終わったとはそんなに思わないまま読み終えました。むしろクヌルプが抱えた、最後に自覚することになった「後悔」といったものの方が、強く伝わってきました。若い頃の失恋、そこから全てが変わってしまう、そういう話でした。元々与えられていた容姿や能力、一言で言うなら器用さだと思いますが、それらのものでクヌルプは飄々と生きていけたと思います。たくさんの人に好かれ、時には人妻からも好かれて、もてなされることを繰り返していました。しかし最後に「あの時に自分が壊れてしまった」と振り返るんです。死ぬ直前に肯定されたとしても、クヌルプの人生が美しく幸せなものであったかと言われると、よっぽど作中に出てきた職人たちの方が幸せに見えました。いわゆるクヌルプとは違う容姿で違う生活を送っている職人たちです。クヌルプのような存在に憧れつつも、そうではない人生を日々歩んでいる人たちの方が、よっぽど幸せに見えました。だからクヌルプが神に肯定されたとしても、そんな役割を背負わされてしまっている人の悲しさのようなものを感じて読み終えました。描写はすごかったです。訳によって違うのかもしれません。新潮文庫の方がよく売れているのかもしれませんね。いくつか他にも訳が出ているようですし。季節の美しさもそうですし、表現が難しいですが、「官能的」というのでしょうか、そのような美しさを感じました。
B:私は、クヌルプと対比されている職人たちの生活を見て、トルストイが見たら、そちら側の肩をもつだろうなと思いました。『イワンの馬鹿』に描かれるイワンはクヌルプと全然違います。クヌルプの手はごつごつしていないだろうと思うので、トルストイの世界では食事につくのは一番最後だと思いました。
A:私は女性目線でクヌルプを見ていました。なぜ男性にとってクヌルプが信頼され、心を許してもらえるのかが不思議でした。ふらっと来たクヌルプに「よく来たね」「何日いてもいいんだ」「お酒を飲もう」「君といると楽しい」と声をかけます。そういう職人たちがたくさん出てきました。何でそこまでクヌルプは魅力的だったのだろうと思いました。女性目線ではわかる気がします。歌がうまくて手はごつごつしていない、容姿は綺麗で表現は上品。女性が惹かれることはなんとなくわかるのですが、男性からなぜこんなに信頼を寄せられているのかわかりませんでした。男性目線で文章の中からクヌルプの魅力は感じられましたか?
D:あまり男性目線とか意識をして読んだことがないのでわかりませんが、おそらく、自分とは違うからではないでしょうか。自分にはできないことをしている人を好きになる傾向にあるのではないでしょうか。男性はそんな傾向が特にあるのかもしれません。何かに縛られていると思っている人が多い中で、クヌルプのように漂泊して旅をしながら生きる人の話を聞きたいという気持ちはあるのかなと思います。
B:女性から見て器用なところはモテるんだろうなと思います。女性から見ても、また友人から見ても、「危うさ」のような部分も、人から好かれる理由の一つかなと思いました。いつも自然の中に身を置いて、孤独であろうとする生き方です。「放って置けない」というと言葉は適切ではないかもしれませんが、そんな部分も友人から好かれる理由の一つかもしれないと思いました。
C:芸人の人で、おごられることを職業にしている人がいます。「プロ奢ラレヤー」と言います。所持金はいつも50円くらいです。SNSでご飯を食べに行きますというと、奢りたい先輩やお金持ちが話しかけてきて、それで何年も生きているという人です。宿にできる家もたくさんある。まさにトリックスターです。彼が定職をもっているとそんなことは起きません。彼がそんなやつだから話のネタにもなるし、家にも泊める。そんな人がいます。水曜日のダウンタウンでキングコングの西野が紹介をしていました。寅さんもある種そういう人です。あの音楽に騙されているけれど、家族にあんな人がいたとしたら深刻な問題です。
B:確かにそうですね。
C:変なおもちゃを売り歩いて。でも、それが「救済」になっているということです。今のコロナの中で「エンターテイメントって結局必要ない商売だったんだ」とマツコデラックスが言っている記事を読みました。「私たちの職業なんていかにいい加減なものかわかったわ」と言っていたようです。その感覚も分かりますよね。エンターテイメントは無くても生きられるものです。でも、無いと、人生は殺伐としてくることも事実ですよね。作家もどこか似ています。小説はなくても生きていけるけれど、小説があることで、世の中は変わります。作家は、人の余剰品を生み出しています。自分の作家としての社会での立ち位置と、このクヌルプを重ねている部分もあるのかなと思いました。
A:そう聞くと、テレビのような感覚なのかもしれません。クヌルプは、歩くテレビのようにして、いろいろな土地のことを教えてくれます。
B:各地の話をもっている、というのも寅さんと似ているのかもしれません。
C:『男はつらいよ お帰り 寅さん』があります。山田洋次監督が、デジタルリマスターでつくった映画です。あれを観たんです。Amazonで。久しぶりに吉岡秀隆を見たくなったんです。僕は『北の国から』の大ファンですから。あの人の声とかが大好きなんです。寅さんがいないので、メインは吉岡さんです。当然、寅さんはデジタルリマスターの思い出としてしか出てきません。とらやの人たちが、深刻な問題に直面するたびに「こんな時に寅さんがいたらなぁ」と話しています。「寅さん」というある種のフィクションがあることによって、システムの中のデッドロック状態を揉み解すことができます。ビートたけしか誰かが「エンターテイメントは社会のマッサージ師だ」というようなことを話していました。世俗の悩みによって筋肉が凝り固まります。「エンターテイメントはそれを緩める、そのくらいの役割なんだよ」と言っていました。なるほどなと思ったことがありました。
D:映画自体は面白かったですか?
C:映画自体はさほどでした。よっぽどの思い入れのある人がみるファン映画です。映画として期待はあまりしていませんでした。イメージビデオですよね。
D:不在の存在を引き立てねばならないという目的があって作られていますよね。『おかえり寅さん』ですよね。『おかえりクヌルプ』があったとしたら絶対に面白くはなりませんよね。
C:寅さんって「昭和」なんですよね。昭和の間に終わったんでしたか?渥美清が亡くなったのは昭和の終わりか平成の始まりだったはずです。それで作られなくなりました。僕は「平成は寅さんがいなくなった30年である」と分析ができると思っています。平成はどんどんと細かくなってきた時代です。ツッコミも細かくなりました。人の気にするところが細かくなりました。ポストモダン的な差異を強調するところがありました。社会の遊びがなくなったことがありました。ちょっとミスをしたら炎上をします。「昭和ノスタルジー」というものの一つの主要構成要素は「いいかげんさ」だと僕は思っています。人が「昭和ってよかったね」という言葉を使う時に「昭和」が意味していることは「いいかげんさ」だと思っています。テキトーだったわけです。昭和プロレスとかも、放送が試合の途中でバツンと終わってしまうことがありました。放送時間だからという理由で終わってしまい、みんなが結果を知らないということがありました。そのようなことが成立していました。「マスクマンの正体をバラす」なんてことが、いいかげんな中でやり続けられていました。そんなことの象徴が、寅さんにあるような気がしています。平成に寅さんがいなかったのは必然で、平成以降の感覚だと、寅さんなんていうのはけしからんわけです。不快になる。「嫌な気持ちになりました」とコメントが殺到するかもしれません。「私たちはこんな生活に汲々としているのに、なんなんですか!」と言われてしまう。「あんなおもちゃを高値で売って!」「女性を振り回して!」「あの女性は寅さんのために婚約を破棄したんですよ!」ということになります。そんなことはどうでもよかったのが昭和で、そういうことを懐かしむのが「昭和ノスタルジー」だと思います。寅さんは社会を揉み解す人なのかなと思っています。
D:同じようなことを深夜番組でマツコデラックスが言っていました。『月曜日から夜更かし』という番組でした。あの番組には、街中のヤバい人たちが出てきます。100回未満しか再生されていないYoutuberとかを取り上げています。やはりヤバいです。確かに、昭和ってそういう人たちが公に目にされる場にいたような気がします。今、昭和のテレビを見るとヤバいですよね。だいぶ放送できない部分があると思います。
C:本当にヤバいのがたくさんありますよね。
D:今、Youtubeではそういうものがたくさんあります。それらは公共の電波に流れてはいません。先ほど言っていた「細かくなった」というのは、そういう形で分断されていって、みんなが同じように同じヤバいものを見るということが少ないということなのでしょうか。ヤバい人がいなくなったのではありません。かつてよりは容易にYoutubeには出られるようになっています。世界中が見ることができるわけです。マツコデラックスは、昔のテレビって怖いもの見たさというか「ヤバいもの見てしまった」というようなことがあったけれど今はそんなことがなくなった、ということを言いたかったのかなと思います。今も深夜放送ならそういうことがあるのかもしれませんね。
C:無菌的なものになっていますよね。
D:自分で女装をしているおじさんの動画が出てきていました。特に何もありません。50代半ばくらいのおじさんが、ただいろいろな角度から水着を着ている自分を撮っていました。
A:嫌だー。
C:面白そうですね。
D:「これを誰に伝えたいのですか」と聞かれた時に、おじさんは「自分で観るためです」と答えていました。自分で観るためのものを、世界中の人たちが見られる場で作ることができるようになった時代と言えると思います。そういう存在は、かつても今もいるけれど、目にする場がなくなったのかもしれません。そういえば、昔は親戚の集まりとかでも「あのおっさんいつもいるけどなんだろう」と思う人がいました。
C:あるかもしれません。学校の先生にも手が震えている人がいました。「あれはアルコール依存症の禁断症状なんだ」と他の先生が教えてくれて、僕は「ああそうなんですね」と答えました。「そうなんですね」という話ではなかったような気がします。
D:社会生活はできていたということですよね。あの人どうやって生きているんだろうと思う人も、別に支援の対象ではありませんでした。
C:平成はそれが炎上するんですよね。

B:こないだ、私は初めて「川口浩探検隊」を初めて見ました。「昭和のエンタメといえば」と語られていたので見てみました。
B:ヘッセは、そういった「平成的なもの」、「システム」や「細かさ」といったことを批判したかったのでしょうか。
D:僕はそんな目的は感じませんでした。単純に描写をしていったということなのかなと思いました。ロシア文学などとは明らかに違うものだと思いました。死の描き方についてもそう思いました。
C:『東方巡礼』もトリックスターの話ですよね。『デミアン』は不思議な作品です。主人公の友人、デミアンという男の話です。その人が「神の中にある悪」というのを論じるという話です。それってユングが言ったことです。ユングは四位一体と言いました。キリスト教の父子聖霊に悪を加えて「四位一体の全体性」と言ったのでキリスト教界から排除されました。ヘッセは、社会を当たり前に構成している秩序、そんなものを相対化するというテーマは共通しているのかなと思います。
B:キリスト教なんだけれど、東方思想の影響をかなり受けていて、西方の思想には批判的であると何かで読みました。
D:心理学や自己分析への関心を持ち、その後、東方思想へ傾倒していくとありますね。
C:西洋を構成する「正しさ観」のようなものがあります。「正しさ」というものに揺さぶりをかけていくということをした人なのかなと思います。
D:やはり同じドイツのニーチェの影響が大きいのでしょうか。
C:ニーチェの影響は大きいのではないかと思います。
D:当時の知識人はそうなんでしょうね。少し後ですよね。
B:そういえば、私、国語便覧を買ったんです。
D:おおー。懐かしいですね。札幌市の小学校で使っているやつですか?
B:高校で使っているものをAmazonで買いました。コストパフォーマンスの良い本だと思います。その中に、少しだけヘッセが載っています。ここにヘッセは反ナチスの運動も行っていたとあります。でも『漂泊の魂』からは反ナチの思想のようなものは感じませんでした。
D:そうですね。
B:キリスト教やシステムといったものを批判したと言われると、確かにそうかもしれないという気はしました。
D:あるでしょうか。むしろクヌルプはそういうものに傾倒していないキャラクターだけれど、最後に死ぬ直前に神に会うという話ですよね。私は、死ぬ直前に会話の相手として出てくる神について、キリスト教的な神の雰囲気を感じませんでした。読んでいて「聖書のこの箇所ね」というような部分もあまりなかったように思います。
B:最後に出てくる神について、私はむしろとても「西洋的」だと思いました。もうすでに答えを知っていて、「あなたの人生はこれです」とドンと答えを提示する神です。悩んでいるクヌルプに対して答えを突きつける神です。そんな神観があるのかなと思いました。
D:過分にそのような使命を負わされているような感じがあるように思います。イエスもそうですよね。使命を帯びて降りてきたわけです。クヌルプをイエス的に扱っているわけではありませんが、神は「お前がやっていることの中に神である私がいたんだ」という話をします。神は「そちの中に潜んでいた私が〜」と話しています。
C:最後の部分を読んで、僕はヨブ記っぽいなと思いました。最後にあるクヌルプと神との対話は、自分の人生に不満を申し立てる人と神との対話です。そのような意味でヨブ記だと思いました。
D:クヌルプの人生はそんな不安や苦難に満ちていたかというとそうではないですよね。
C:表面はそうなんですけれど、クヌルプは思春期に失恋を経験してから、「生ける屍」でした。そういう主観があったわけです。人生をダメにしたんだと思い続けています。ある種、退廃的な生き方です。「どうとでもなれ」と思っています。器用だったりラッキーだったりしたので食いつなぐことはできたけれど、いつ死んでも良いというような生き方をしていました。その時から諦めているんだけれども、その全てが最後に肯定されるという「救済」なんだろうと思いました。フラれたことによって、彼は人間とか社会そのものを信用できなくなりました。だから信用できない社会に信用される必要もないという形で自暴自棄・退廃的になっていきました。ただ、そのフラれるということも含めて、ちゃんと意味があったんだという肯定なのかなと僕は読みました。
B:職人たちには自分たちにはできないことへの憧れがあったと話題になりました。クヌルプに対する気持ちです。でもクヌルプは選ぶことができたわけではなくて、クヌルプにとって「こうするしかなかったこと」の連続だったと私は思っています。旅人としての生き方を選んだというより、そう生きざるを得なかったのだと思います。その結果を最後に肯定してもらう。そんな感じがしています。
C:彼の悲劇は、何にもコミットできないということだと思います。コミットしそうになると逃げてしまいます。それを繰り返している人生です。それは悲劇ですよね。
D:クヌルプ自身が「もっと違ったものにコミットする人生だってあっただろうに」と最後に悔やむわけです。でも神が「それに満足しなさい」と言います。
C:どうなんでしょう。
D:結構ストレートに言っていると思います。最後に回心したということなのか、それともただそれまでの人生を肯定して終わったということなのか、その辺はわかりませんでした。神が「さあ満足するが良い」と言っています。不思議な神の語りかけだなと思います。神の目線の中にクヌルプ的な生き方があったという話ですよね。さっきの寅さんの話ではないけれど、そういう人もいたって良いということです。みんながみんな勤勉に家庭をもつわけではないと。
C:多様性というと違うかもしれません。ドイツという国柄もあると思っています。これがイタリアだったら違ったと思います。イタリアだと、クヌルプ率がもっと高いです。イタリアでは「人生は、太陽をみて、踊って、おいしいワインを飲んで、楽しむものなのさ」というある種の国民性があります。スペインもそうかもしれません。でも特に北のヨーロッパ、プロテスタントのカルバン主義は違います。カルバン主義は突き詰めると「快楽は罪」というところにまで行きます。初期のアメリカはカルバン主義の影響が強すぎて、妻とのセックスも子どもをもうける時以外は禁止するとかいうことがありました。それは快楽にあたるからです。イギリスの食事がまずいのもその影響であると言われていて、食事を楽しむなんていうのは、この世の放縦であるとされました。食事というのは栄養を取るためにそして働くためにあるんだというところまでいったわけです。ドイツはそのようなカルバニズムの震源地なので、すごく社会規範というものによって人々ががんじがらめにされているという文脈があると思っています。そんな中でクヌルプという人には肯定の余地は一切ありません。軽蔑の対象でしかありません。そのようにしてのたれ死んだ人を、最後に肯定する神の優しさという包摂を描いているのかなと思いました。
B:そのような意味で、職人たちは誠実であり、ただ働いているのかもしれませんね。
D:コミットメントの話でいうと「選択する」ということなのだとすれば、クヌルプが選択してそうなったのか、むしろ神の選びによってそうなったのかということが大切かなと思います。クヌルプだって勤勉に働くことができたはずだけれど、クヌルプが選ばなかったのか、それとも「お前の生き方はそうではなかったんだ」と神に選ばれていたということなのか。社会全体で見ると、クヌルプのような人もいて良いという包摂の捉え方もあると思います。でもクヌルプ自身は後悔をしていますよね。最後に説得されて「満足しました」と言っていますが、私は、クヌルプの後悔のような部分が強く出ているような気がします。
C:クヌルプ的なトリックスターの生き方をする人って、やはりドイツのような封建的な禁欲的な社会では罪責感と伴う以外には生き方はないと言えると思います。生きづらさを感じずには生きられないという社会です。だから、それすら神の必然であって、ということはあるのかなと思います。日本もどちらかというとドイツ寄りだから、寅さんだって、寅さんであっても、「わかっちゃいるんだ、妹よ」と言います。寅さんも「わかっちゃいる」んですよね。人に自慢できない兄だということもわかっている。その罪責感込みのトリックスターなんですよね。そしてそれを包摂するという構造になっているかなと思います。
D:観点は違いますが、三部構成になっていますよね。第一部「早春」がクヌルプ視点で、第三部「終焉」もクヌルプ目線でしたか?
B:私は「早春」と「終焉」は誰か客観的な語り手が話していると思いました。
D:2番目の「クヌルプへの追憶」では、クヌルプが完全なる客観として出てきますよね。
B:それは友達が語っているんですよね。
D:そうですね。そして第一部と第三部はクヌルプの主観じゃないんですか?主観ではないけれど、第二部と視点は違いますよね。しかも第二部はクヌルプが死んだ後の話ですよね。クヌルプが死ぬのは第三部で、第二部にクヌルプが死んだ後にされた追憶が書かれています。なぜこのような構成にしたのでしょうか。
B:そこについては私も気になっている部分でした。第一部では20代から30代くらいのクヌルプの姿が描かれています。病にありつつ生きる姿です。第二部では、友人がもう死んだクヌルプを思い出しているけれど、思い出している内容は、クヌルプが青春時代の10代の頃の話です。そして第三部は、クヌルプが死ぬところですよね。いれ違っていますよね。
D:第二部の「クヌルプへの追憶」の必然性はどこにあるのだろうかと思いました。何を狙ったのでしょうか。
B:私が思ったのは、季節は順繰り進んでいます。春・夏・秋冬というようにです。季節と人生を重ねているのかなと思いました。
D:第二部が最後ではいけなかったということですね。季節が違えば最後でも良かったということでしょうか。
B:夏に十代の青春時代のことを書きたかったのではないかと思うんです。
D:他の人の目線でですね。私はクヌルプの目線で描きたかったというよりは、クヌルプの友達の目線を描きたかったのかなと思いました。だから「おかえり寅さん」が間に挟まっていることになりますよね。
B:真ん中は「おかえり寅さん」ですよね。
D:そして第二部で語るこの友達はクヌルプにずっと影響を受け続けていますよね。この友達もずっと孤独だと言っています。この人はクヌルプのような生き方をしていないんだと思います。第二部の語り手はどんな人なんでしたっけ?
B:この人のことはあまり出てこなかったように思います。
D:この人は最後に「あの日から孤独の影は消え失せようとしない」と言っています。
B:クヌルプが話していた美しさとか自由といったものに対する思い入れがあって、そのことを中心に回想しているように思います。
D:クヌルプに憧れを抱いていた友達ですよね。何なんでしょうね。クヌルプの若い頃の話を入れたかっただけなのでしょうか。
C:死の部分を最後にもっていきたかったのも一つだと思います。そして、クヌルプがどのように他の人生に爪痕を残したのかという語りを入れるということではないでしょうか。
D:第二部のクヌルプは、クヌルプ自身の目線でいうと人生を捨てる前ですよね。第一部はすでに捨てた後の話です。そして第三部はその最後です。
B:普通だったら、第二部の内容から始めても良いですよね。
D:そうですね。
B:逆に第二部が最後にきても良いですし。
C:そうですね。
D:何でこの順番にしたんでしょうね。そこが興味ありますね。
B:謎ですね。

D:今までと全然違う、ドイツ的な感じだから良かったなと思いました。
D:次の作品を考える前に、こういう本が出ました。チャペックの『白い病』です。9月15日、つまり先週に発売されました。
C:新たに訳されたんですか?
D:そうです。しかもコロナを受けてです。あらすじを言ったからといって面白くならないと思います。ペストはいわゆる黒死病と言います。それを逆にして「白い病」といいます。肌に白斑が出て、それがどんどん広まっていき、身体が大理石のようになるという病です。大理石のようになった身体の部分が、次々と壊れ落ちていくという病気です。その病気には45歳以上じゃないとかからない。しかも中国から出てきた病気です。中国というのはいろいろな病気が生まれてくるんだと1936年ごろに書いています。それが世界のパンデミックを起こします。仮想のドイツで起きる話です。ヒトラーのような元帥が出てきます。その人も病気になってしまいます。面白いのは、治療法を発見した一人の医者が出てきます。治療法を発見するのですが、自分しかその秘密を知らないんです。いろいろな人が治療してくれと集まってくるのですが、その医者は貧しい人しか治療しないんです。金持ちを治療しないんです。どうしたら金持ちを治療するかというと、その条件は「戦争を止めることを決めてくれ」というものです。金持ちは力があるんだから、国に戦争を放棄するように言ってくれと伝えます。途中で武器を開発する会社の社長が出てきて、この人もその病気になります。それでも、誰も止められないんです。戦争をここでは止められないと。元帥もここで戦争をやめたら国民に何と言われるかわからないから止められない。そして最後病気になる。そんな話です。クライマックスがさらにすごいので、ぜひ読んでみてください。
C:Kindleにはないですね。文庫で買わないといけませんね。
D:最初は訳を公開していたようです。
C:全集には『白い病気』というタイトルであるんですね。でも今訳されたものを読みたいですね。
D:今回訳されたものが、今っぽくて、つまりコロナの時代らしいんです。普通にパンデミックという言葉が使われています。パラレルになっています。クライマックスの作り方がとても面白いです。
B:まさかチャペックに戻りますか?
D:それはないけれど、ぜひ読んでください。
B:次はどうしましょうかね。
D:長いけれど『星の王子様』はどうですか?まだ読めていないんです。全く読めないんです。モチベーションがわきません。
B:いくつか訳が出ているはずですよね。
D:青空文庫にもありますが、全然タイトルが違うんです。『あのときの王子くん』というタイトルです。なんか急に「怪物くん」みたいですよね。読んだ人いますか?
C:僕は一回読んでいる気がします。
B:私読んだことがあります。僕が学校の教員になるといったときに、友人のお父さんがこれを読んでおいたらいいよと勧めてくれました。それで読みました。こういうことを伝えたいのかなと考えたのを覚えています。
D:おそらく今読むとまた違うんですよね。
B:そうかもしれないですね。
C:わりとよく引用されますよね。
D:映画『こんな夜更けにバナナかよ』の前田監督が好きみたいです。サインするときに必ず「大切なことは目に見えない」と書くんです。読んだことないので、前田監督の言葉だと勝手に思って見ていました。
C:サン・テグジュペリ、いいんじゃないですか。この人はフランスですよね。
B:フランス文学に行きますか。
D:そこにいった後に『やし酒飲み』に行きましょう。
B:私も『やし酒飲み』楽しみにしています。
D:そしてチャペックに戻るのもいいかもしれません。
B:チェコを起点に回っていますね。
D:『星の王子様』は長いですよね。
C:長いでしょうか。童話だから…。
D:でも2時間とありますね。
B:では次は『星の王子様』にしましょうか。
D:青空文庫だと『あのときの王子くん』ですね。
A:わかりました。
D:だからBくん、告知にはカッコして『あのときの王子くん』も加えてください。
C:Kindleだと150円で買えますね。
D:一番有名なのは新潮文庫でしょうか。装丁もいろいろありますね。集英社文庫は池澤夏樹さんが訳をしています。
B:これはとても読みやすいと思いますよ。
A:今見ると結構厚さがありますね。
B:童話だから絵もたくさんあって読みやすいと思います。
C:絵もあって字もひらがなだから読みやすいかもしれないですね。
D:ではこれで行きましょう。アフリカに向けて。
B:日程はどうでしょうか。
D:木曜日は講師のお願いに行くんですよね。「キリスト教からみた死生学」というのを講義してもらう予定です。仏教はAさんが檀家さんの日蓮宗の方にお願いしました。
C:死生学って何ですか?
D:みらいつくり大学の講義企画で、死とか生について、各宗教でどのように言われているのかをシリーズ化したいんです。本当はユダヤ教やイスラムもやりたかったのですが、知り合いがいないので、とりあえず仏教とキリスト教をやろうと思っています。
B:8日はどうでしょうか。
C:午後は大丈夫です。
D:4時から5時にしてみますか?仕事終わったなと思う時間ですよね。
B:では8日の4時から5時、『星のお王子様』でお願いします。
D:『白い病』もぜひ読んでみてください。
B:では、ヘッセはさらっとしていましたが、次に進みましょう。ではまた。