みらいつくり大学校企画
第11回みらいつくり読書会@zoom
【課題図書】
カレル・チャペック『ロボット』
【実施日時】
2020/9/9 10:00~11:00
【参加者】
A,B,C,D (+ラジオ参加3名) 全7名
【内容】
A:私は、カレルチャペックの『ひとつのポケットから出た話』『チェコスロヴァキアめぐり』を図書館でかりました。
B:チャペックの旅行本ってたくさんありますよね。
A:これを見ると、ものすごく穏やかな人だったんだなと思いました。『ロボット』と同じ作者なんだろうかと思いました。星新一はSFとして一括りできるような気がしますが、カレル・チャペックはいろいろな顔を持っているんだなと思いました。こないだの議論の中で、人間中心主義について話題になりました。(旅行本を読んで、)人間中心主義に至ることは不思議に思いました。『ロボット』の話とはずれますが、穏やかな人が狂気的なものも書くというのは、人間の二面性をあらわしていると思いました。『絶対製造工場』は読めませんでしたが、Googleで色々とレビューを見ました。人間が神の力をもつと余計なことにしか使わないとか、神がいたとしても争うだけだということが書かれていました。たしかにそうだなと思いつつ、人間が多様性に寛容でなくなるときは怖いときなんだなと考えました。皆さんの感想も楽しみにしています。
C:私は『北欧の旅』を読みました。これもAさんの言葉でいう「穏やかな」本でした。挿絵の使われ方も童話のようで楽しかったです。『園芸家12ヶ月』もとても面白かったです。安かったので中公文庫を買いました。図書館で借りたのが『マサリクとの対話』と『チャペック兄弟とその時代』です。『マサリクとの対話』は途中までしか読めませんでした。『チャペック兄弟とその時代』は少しマニアックな本でした。日本チャペック兄弟協会という団体が刊行した論文集です。めちゃ面白かったです。
B:カレル・チャペックではなくて、その兄弟にそこまで関心を持っている集まりが日本にあるということなんですね。
D:兄弟は俳優でしたか?
B:いえ、ヨゼフ・チャペックは絵を描く人ですよね?
C:エッセイも書いています。強制収容所に入って亡くなったとありました。
B:ユダヤ人だったんですか?
C:ユダヤ人ではないはずですよね。ヨゼフの遺作は『強制収容所からの詩』です。まさに強制収容所の中で書いた詩を集めたものです。ただ日本語にはなっていないのだと思います。興味深く読みました。
B:自由と民主主義のために反ナチスのイラストを描き続けた、とありますね。
D:『山椒魚戦争』は反ナチスの文学作品ですよね。
B:『独裁者のブーツ:イラストは抵抗する』という本もありますね。
C:カレル・チャペックの方が日本で注目されているらしいのですが、でもヨゼフの方が芸術家として素晴らしいと書いている人もいました。
D:僕は『絶対製造工場』を読みました。僕は『絶対製造工場』と『いろいろな人たち』と『山椒魚戦争』と『ロボット』を読んだことになります。面白さでいうと『山椒魚戦争』が一番だと思いました。『絶対製造工場』はちょっと読みにくいです。構成が独特で、話者が変わっていきます。書き方の作法として人称が変わりすぎているように思います。最後まで読むといろいろな人の視点からこういったことを書きたかったんだというのがわかるのですが、読みにくいと思いました。まだ『ロボット』の方が読みやすかったです。内容はつまらないわけではなく面白かったです。原子力といったような話も出てきました。物質の重さをエネルギーに転換するというのは原子力に他なりません。そのエネルギーは、物質の中に閉じ込められた神を解き放つことによって得られるエネルギーだという説明がありました。その原子炉をいろいろなところに売るのですが、原子炉があるところの近くに行くと、放射能を浴びるようにして、神を浴びてしまう。そうするとやたらに信心深くなってしまう。それによって世界がどう変わったかということです。ユートピアではなくディストピアになるんだという話でした。面白かったです。カレル・チャペックは現代の作家で言うと村上春樹に一番似ているのではないかと思っています。『山椒魚戦争』においては全体主義批判ですし、『ロボット』『絶対製造工場』においては技術独占の批判をしたかったのだと思います。村上春樹は技術についてそこまで批判をしませんが、いわゆる全体主義やシステムといったもの、それが新興宗教のかたちを取ったり、戦前の日本軍の形を取ったりしていますが、村上春樹は、人間を疎外するシステムというものを批判し続けていると僕は思っています。それらは「小説において」と言えます。でありながら、村上春樹は抜群にエッセイがうまいです。僕の弟は「村上春樹の小説はさほど響かないけれどエッセイストとして群を抜いている」と言っていました。「エッセイストとして村上春樹は一番面白い」と言っていました。僕はエッセイもほとんど読んでいて小説もほとんど読んでいますが、その通りだと思います。エッセイになると思想性はほとんどゼロになります。チャペックもそうで、同じタイプの人なんだと思いました。けれど、その二つはつながっている気もしています。エッセイの中では村上春樹さんは「統制なきところにこそ思想がある」といったような、日常の、例えば「カキフライがうまい」ということを書くんだけれど、その前提となるのは全体主義のない世界だと。そういうところでつながっているのではないかと思っています。日々と愛するということと、システムを批判することがつながっていると思っています。そのようなことを考えました。
B:僕は、先ほどDくんが言っていた『絶対製造工場』を読みました。僕はDくんとは違った観点で読みました。長かったので前半部分しかしっかりとは読めなくて、後半はざっと読みました。たしかに読みにくい。なかなか進まないです。僕は先ほどのDくんの説明とは違う解釈でした。エネルギーの話ありますよね。その話はスピノザの言う汎神論、全てのものには神が宿っていると言うようなことだと思いました。エネルギーを極限まで取り出すという仕組みとして、カルブラートルという原子力機関みたいなものを開発したという話です。物質の中に閉じ込められているエネルギーを普通のやり方だとちょっとしか取り出せないんだけれど、極限まで、全て取り出せるという発想なんですよね。なので「エネルギー産生機関として優れている」という話です。その裏側で、全ての物質にエネルギーと神が宿っているんだとしたら、全部のエネルギーを取り出したら残るのは神だけであるという発想があります。エネルギーを取り出すという人間の役に立つことを極限まで突き詰めると、残るのは神であるということ。神を生み出そうとしている機械ではないんだけれど、エネルギーを産み出すことを極限まで突き詰めた結果、そこから神が漂ってしまうと言ったようなことです。いわゆる「絶対」と言う神が漂う。それをエネルギーに変換はできません。だから周りにただ漂うという話です。僕はとても面白いなと思いました。今、ハイデガー頭になっているのでそう考えているのかもしれませんが、原子力やエネルギーをどのように使うかということよりも、科学技術とかも主観性、人間の主観性といったことを考えました。つまり自分たちに役立つように周りの自然を支配していく。ハイデガー的にいうと「ゲシュテル」と言いますが、全てのものから駆り立てる。総駆り立て体制と言って、あらゆるものを人間に役立つように、ついには人間すら人間に役立つように、動員していくというようなことです。先ほどDくんが言っていた村上春樹が批判しているようなシステムというのは、人間にとって役立つような仕組みを人間たちが作っているわけだけれど、それによってむしろ人間が支配されてしまうということです。主客転倒とかよく言われることです。ハイデガーやニーチェによると、人間の主観性を突き詰めて、その手段の一つとして技術があるとすると、その結果、神すら自分たちでつくり上げてしまったと言えます。『絶対製造工場』においては、自分たちがつくったというよりは、副次的に出来上がってしまったんだけれど、それによって戦争が起きる。『絶対製造工場』の後半はほとんど戦争の話ですよね。第二次世界大戦のような話です。びっくりするのは、これが書かれたのが第一次世界大戦後、第二次世界大戦前だということです。多少の年代の違いはあれ、1953年ごろまで戦争が続いたと書かれていますよね。そこには日本も少し出てきます。日本が北米に侵略したりしています。そんなことが書かれていて、予言めいています。そういったこともそうですし、先ほど言ったような人間の主観性を突き詰めた結果はこうなるよねといったことを見ようとしたという意味で、(カレル・チャペックは、)ハイデガーやニーチェと非常に近いのではないかと思っています。『こまった人たち』は元々持っていましたが、『未来からの手紙』という作品が数日前に届きました。あと『カレル・チャペックの警告』という本もあります。この本をチラッと読んでみると、ハイデガー的な物言いをしているところがあります。「認識の精神と支配の精神」と1936年に書いています。それが完全に古代ギリシア哲学からの話で、「技術」は自然を支配しようとして人間がつくったものだと、そしてその中で人文科学の大切さについて書いているんですよね。きわめて現代的な、僕らが思う現代的なトピックを、もうすでに1930年代から扱っていたという意味ではすごいなと思いました。当時なら原子力だってそこまでは開発されていないはずですし。開発し始めたくらいでしょうか。ロボットやAIについてもそうかもしれませんが、100年後くらいのことを、予測しようとしていたわけではないけれども、すでに書いていたというのがびっくりだし面白いと思いました。『山椒魚戦争』はなんだか厚すぎてなかなかチャレンジできていませんが、D君の話を聞いて、頑張って読まなければいけないなと思いました。
D:読みやすさでいうと一番読みやすかったですね。僕は。
B:セリフが多いみたいですよね。
D:プロットが直線的だからだと思います。『絶対製造工場』はプロットがトリッキーすぎますよね。読み慣れた頃に終わるような感じです。『山椒魚戦争』が僕は一番スッと読めましたね。そして面白かった。
B:『絶対製造工場』の主人公が、『山椒魚戦争』にも出てくるんですね。会社の社長さんがユダヤ教から改宗しているんですね。
A:『絶対製造工場』は最後どのようになるんですか?
B:最後はとりあえず戦争が終わって、日常的な感じに戻るんだけれど、あまり変わってはいません。そこに神の概念があり、かつ見た目上は平和である。おそらく同じことを繰り返すんだろうなというような感じはありますよね。
A:神は残るんですか?
B:その「絶対」というものが広がっていったのが、神の代わりになったんですけれど、それがまだ地下に残っているんです。カルブラートルという原子力発電機関のようなものが、隠されているんです。人間たちが隠されているものを発見して壊していく。「おそらく、こないだ壊したのが最後だ」というような会話をしていますが、その前まで人間が神と呼んでいたようなものが残っているはずです。おそらくそれが原因となって争うんだろうなという気配を残して終わります。
C:『ロボット』と似てるんですね。
B:同じような感じですね。『ロボット』を描き終えた後にやっぱり取り組んじゃったというのが『絶対製造工場』らしいです。ただこれを出した時には酷評されたようです。『バルザック』や『カラマーゾフの兄弟』と比較されたようです。新聞に掲載する作品でしたが、(カレル・チャペックの)長編小説はダメだと批判されたと書いてありました。
C:作品の終わり方についてですが、前回『ロボット』のあらすじを伝えようとして最後だけうまくいきませんでした。もう一度読み返してみても最後だけやはりパッとしないんです。何だったんだろうといったような感じで、モヤモヤします。
D:僕も最後よく覚えていません。チャペックって最後を綺麗に落とさないですよね。
B:あえてですよね。おそらく。
D:あえて、このディストピアと、われわれが生きている現代が地続きなんだということを、作品の落とし方で伝えたいんじゃないでしょうか。これはフィクションだと思って呼んでいたけれど、これは今の世界の話だ、となるような感じです。
C:その辺にも触れて論文を書いている人がいました。『ロボット』もユートピア文学の一つです。ユートピア文学としては『ロボット』ははじめではありません。『ロボット』には、それまでに書かれてきたユートピア文学の要素が断片的につめられていて、でもあえて結論を出さないというのが、チャペックの特徴ではないかと書いていました。だから最後モヤモヤなんだなと思いました。最後、子どもが生まれるのかもわかりませんよね。そしておそらくは生まれない。この物語はハッピーエンドなのか、といったことが問題になってきます。論理的に成り立っていないのではないか、という問題があって、後半が削除されているというような背景があると書いている人がいました。
B:訳による違いは、聖書的な記述があるかどうかの違いです。『絶対製造工場』を今回読んで思いましたが、やはり新旧約聖書、特に旧約聖書を読んでいると、ああこの記事かとなります。歴代誌・列王記のような記述があります。『ロボット』の最後も、創世記の素養があるかないかで分かれてきます。素養がない人にもわかるような訳にしたのかなと思います。
C:私のつくった資料の中にもありますが、一つの論文の中に「ロボットの死に対する態度が変化している」とありました。もう一度そこに着目して読み返して表を作成してみました。確かに変わっていて、面白かったです。序幕では死について「知らない」と言います。「解剖されてもいい」と。でもそのうち、自殺願望のあるラディウスが出てきます。彼は自殺願望とともに「むしろ主人になりたい」と支配についての願望を述べます。二幕までにはそれが描かれています。最後、ラディウスがなぜアルクビストを生かしたのかについて触れる部分で「私たちは生きたかったのです」と書かれています。そしてダモンというロボットにアルクビストが「お前を解剖しよう」と言うと、ダモンは「俺を解剖しろ!」と言いながら辛そうに死んでいきます。ロボット全体を生かすために、自分は死にたくないけれど犠牲となって死んでいく、というようなことです。そして最後、ヘレナとプリムスがお互いにかばいあって「相手が死ぬなら私が死にます」と言います。その様子を見て、アルクビストが「アダムとイブになりなさい!」と言います。そこも面白かったです。
B:まさに現存在ですね。死に向き合っていますよね。
C:ロボットの死に対する態度が変化していることを通して人間を描きたい、ロボットについて描きたいわけではない、というようなことを、チャペック自身が他の本で書いているとありました。「人間が生きるということを描きたかった」と。
B:チャペックはそういったことが多いと書いてありますね。あとがきなどに。本来こうあるべきだということを否定するような内容です。人間がこうあるべきだというものを、ロボットがこうあるといったように描いて、だから本来人間性というのはこういうものだというような感じです。そういったことを書いて、読者に教える、大切さを伝えるといったような。「否定的な定式」だったでしょうか。「否定による定式化」とありますね。例えば『絶対製造工場』についていうと、真理というものについて描きたかったとあります。それぞれの人にとって、それぞれの真理があって、それぞれの神・価値があるじゃないですか。そんな色々な人がもつ真理ってバラバラなんだから価値なんてないじゃないかというのが、いわゆる「ニヒリズム」です。チャペックが言いたかったのは、そうではありません。「他の人が私のもつ真理を信ぜず、私の守神を尊敬ぜず、私の信じる全人類の利益のためには献身してくれのこと、と折り合いをつける可能性を、否定による定式化という意味で『絶対製造工場』で試みた」とあります。死に対する向き合い方も、ロボットが徐々に死に対して向き合っていく様子を描くことで、人間について書いたということでしょうか。
C:絶対主義の批判も含まれていますよね。真理は絶対ではなくて相対であるとチャペックは言いたかったとあります。時代的にも価値は揺らいでいます。価値観が揺らぎ崩壊しているような時代だったからこそ、色々な人の視点で書かれた作品が生まれたということです。「キュービズム的な文学である」とありました。
B:だから読みにくいんですね。そういう意味では、『山椒魚戦争』よりも『絶対製造工場』の方がチャペック的なのでしょうか。わかりにくいという意味では。
D:読書メモの検索をかけてみました。他にも『イギリス便り』というのと『未来からの手紙』というのとを読んでいました。『園芸家12ヶ月』も読んでいました。『未来からの手紙』が相当面白いと当時の僕は言っています。これが一番直接的に作品の解説を加えているという意味で珍しいようです。ナショナリズムのことも書いています。「ナショナリズムというのは怒りと憎しみのはけ口で、もしナショナリズムがなくなっても人々は階級間闘争や地域間闘争、宗教間のセクト闘争などに明け暮れるであろう」「問題はナショナリズムではなくて、闘う欲望なのだ」と指摘しています。物質主義についても触れています。彼は1920年代の時点で「物質主義は物質崇拝として批判されるが、その実は物質軽視なのではないか」という視点を述べています。「物質主義によって彫刻家はもう彫刻を大事にしなくなり、陶芸家は壺を大事にしなくなり、人々はあらゆる道具を軽視している」「人は売ることと買うことしか考えていない」「もし神の力が私に与えられたら、人から金銭と言葉以外の全てを取り上げる」「人々は何に気づくだろう」と。「物質主義によってむしろ物質主義が軽視され、取引の道具でしかなくなってしまったと批判している」とメモしていました。『イギリス便り』も面白くて、イギリスを帝国として尊敬しながら、小国であるチェコを愛し、小さな船も大きな船も同じく価値ある未来や運命を持っていると主張するものです。チャペックの根底にあるものは、ナショナリズムと対比されるパトリオティズムであるように思います。愛国主義と訳せます。日本語にしてしまうと両方とも愛国心です。でも、ナショナリズムはより「国粋主義」「国家主義」なんだけれども、パトリオティズムは「郷土愛」のように、その国の文化を愛するというようなことです。『園芸12ヶ月』も「この土地」というものにこだわっています。そういうものを愛しています。そういうものを、国家主義・ナショナリズムというものがむしろダメにしてしまうんだという危機感がチャペックにはあったのではないかと思います。
B:ナショナリズムでいう「国」という抽象的なものではなくて、「その土地」というような具体性の高いもの、ローカリズムという言葉があるのかわかりませんが、そういうものを大事にする思想ということですよね。絵空事のような「国家」ではないということですよね。
D:そうだと思います。当時の僕は『未来からの手紙』を読んだ後に総評して「彼は100年先駆けた多元主義者・相対主義者なんではないか」と述べています。ずいぶん前のことなので、僕のメモでありながら他人事のようにして読んでいますが。『絶対製造工場』もそうですよね。「相対主義」というか、「相対主義なんだけれども信仰心はある」というようなことです。そんな気がしました。
B:「相対主義」というより「多元主義」といった方が近いんでしょうね。
D:そうですね。「多元主義」ですね。
B:『未来からの手紙』には日本についても書いてあります。チャペックは日本にも旅行したらしく「がっかりした」とあります。チャペックに日本を紹介した「カマクラさん」という人がいるようです。その人が、色々と日本のことを説明したらしいです。いわゆる天皇の話をしたようです。「帝と呼ばれていて」とかいう話です。それもある意味で抽象的な話ですよね。そういうことを皆が微笑みながら皆同じように説明するからがっかりしたと。チャペックが本当に日本に期待していたのは、何か特別な芸術、木彫り・芸者といったものが発見できるのではないかということだったようです。ローカル性というか、土地固有のものといったものを重視していたのに、ヨーロッパとあまり変わらず、多少新しいことはありながらもほぼ同じと感じたということだと思います。多分、抽象的な「帝」というものを信仰している人がいるというのは、他の国と変わらないんだなと思ったんですね。アイヌ民族とかをみたら、また違ったのかもしれませんね。紹介する人によって全然違うでしょうから。固有性といったものを追求したということなら、やはりハイデガーと同じことを言っていますよね。平仮名で言うところの「ひと」ではなく、その人固有の「開かれ」と言うものでしょうか。
D:『絶対製造工場』で僕が唯一メモをしたのは終盤のくだりです。ポンティと誰かの会話です。ウルリッヒ・ベックが『〈私〉だけの神』という本を書いています。21世紀に宗教はどこに行ったのか、という本です。宗教の世俗化が起きていて、大文字の〈宗教〉は、クリスチャニティとかイスラムとかそういったことだけではなく、ある人にとってはスマホの承認欲求が神となり、ある人にとってはAKB48が神となるというあり方を含めると、宗教は消えていないんだということです。現代社会はますます神が個人化していると言っています。ここで書かれている「半径2メートルの神」というのはそういうことで、そういった神のあり方が、まるで全世界の神を総合した神のあり方であると思い込むことの中に破局があるんだよと言っています。カレル・チャペックはそういうことを言いたいのだと思います。インドのヒンズー教のあり方も似ています。確かベックも言及していたはずです。ヒンズー教は神が一千万います。一千万種類の中からどれを選んでもいいんです。ポケモンとか妖怪ウォッチのような感じです。どれでもいいんです。それを力車の運転手だったら車のコックピットにその神様を置いて、毎日お香をたきながら運転するんです。そういうあり方なんです。ポイントは何かというと、その一千万の神々が絶対に排他的ではないんです。それは日本に妖怪と似ています。その感じというのはチャペックが批判するところの、絶対製造工場の「絶対」とは違います。それは人々が部分を所有しているんだけれど、それが全部だと思い込んでいないという点で違っています。アジア的な価値相対主義というのか、そういうものを西洋も学ばなければいけないんだ、とチャペックは気づいていたのかなと思いました。
B:日本の八百万の神とかヒンズー教の一千万の神というのは、ある程度同じですか?
D:僕はある程度違うと思っています。日本の八百万の神は、この地域のこの岩というふうに決めますよね。地域共同体のむしろ同調圧力の道具にされたりしています。祭りに参加しないと村八分にされるとかそういうことです。でも、インドの一千万の神の場合は、そういうものとも全然違っています。
B:ローカリティが無いんですね。
D:ローカリティが無いんです。もちろんその地域でこの神が人気だとかそういう傾向はあるんです。傾向としては。でもそれが、世間というものをつくる道具とはされていないということです。
B:日本のように神それぞれのエピソードがあるんですか?
D:ありますね。
B:でも地方性が無いんですね。例えば日本だと、この地域には昔こんなものがいて、こうしてこうしたから祀っている、崇めている、というのがありますよね。
D:僕はそこまではわかりません。バイシャ・シュードラ・シヴァ、という創造神・維持する神・破壊神がありますよね。オウム真理教は破壊神シヴァを拝んでいたわけです。これに関しては大きな物語があります。全宇宙の創生の物語です。シヴァは破壊神でもあり創造神でもあるから円環になります。時間が無限に繰り返すわけです。それよりも下位の神がどんな役割を果たしたのかというと、『バガヴァッド・ギーター』に書かれています。でも体系化はされていないはずです。それらが一つの体系をまとっているかはわかりませんが、抽象度でいうとローカル性というよりは全世界の創造主に位置づけられます。だからこの地域のこの場所をつくったとかではありません。この州では、伝統的にガネーシャのお祭りが開かれるから、ガネーシャを信じる人が多いよとかはあるんです。
B:半分プロ野球みたいですね。
D:そうかもしれないですね。
C:チャペックの宗教としては明確なものがあったんでしょうか。
B:キリスト教プロテスタントなんだろうと勝手に思っていました。
D:だけれど、プロテスタントの中のシステム性、排他的で我々こそが正しいのであるという姿勢に関しては強い鋭い批判の眼差しを向けていたと思います。そういうプロテスタントだったと思います。
B:その辺もハイデガーに近いような気がするんですよね。ハイデガーも、最後まで信仰は捨てていなくて、途中カトリックからプロテスタントに改宗しています。お葬式は本人の希望でキリスト教式で行っています。でもキリスト教的なシステムに関して、キリスト教的なシステムというよりはパウロ神学に関しては批判的ではあります。カトリシズムのようなものに違和感をもっていたのだと思います。チャペックは聖書をベースに書いていますよね。そういったことが随所に見られます。『山椒魚戦争』もそうですか?
D:そうですね。聖書の引用があったはずです。でも『山椒魚戦争』は純粋なSFとして面白かったです。アメリカってチャペックのファンが多いようです。確か『未来からの手紙』のあとがきに書いてあって、アメリカにはチャペコマニアという言葉があるそうです。そのくらい人気があるようです。
A:ハルキストみたいですね。
D:確かに、カート・ヴォネガット・ジュニアとかアメリカのSF作家はチャペックを思わせるところがあると言われたらそう感じますね。
B:ブレードランナーの元ネタになった著者はアメリカ人でしたか?
D:アンドロイドのやつですよね。フィリップ・ディック。
B:アメリカ人ですよね。
D:多分だけれど、フィリップ・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』は相当にチャペックの『ロボット』とテーマが似ています。チャペックは後のアメリカのSFに影響を与えたんじゃないかなと思います。
B:ジョージ・オーウェルとかも影響を受けているんでしょうか。
D:『1984』ですね。
B:なんでそんな人がチェコから生まれたんだろうということですよね。
D:そうですよね。チェコはヨーゼフ・フロマートカという神学者がいます。佐藤優が心酔しています。
B:チャペックはパリのソルボンヌ大学に留学していたんですね。「そこでゲルマン学を学び〜」とあります。不思議ですね。『絶対製造工場』の最後で世界戦争になりますよね。その戦争させている「絶対」なるものに戦いを挑む国が出てきます。それがフランスなんですよね。ナポレオンみたいな人が登場しきて、フランスでは「絶対」なんてものを信仰するな、と言うんです。フランスを無宗教にするんだと言います。フランスはその後そういうライシテという政策をとりますよね。キリスト教の人が多いけれど、国家と宗教を完全に分けるという政策です。国家としては無宗教・無神論的です。政策がいつだったかわかりませんが、『絶対製造工場』のなかで「絶対」に戦いを挑む人たちとしてフランス人を登場させるなんてめちゃ面白いと思います。日本も少し出てきますよね。当時第一次世界大戦の戦勝国だったので、チェコからみると、東洋の小さな国がやたらに強くなっているらしいという程度の感覚だったのかもしれません。でも実際に来てみてがっかりしたんですよね。
C:結論はないままですが「多元主義的」というか、多元主義に対置される絶対主義のようなものを疑っていったのではないかという話になんとなくなりました。次回の作品と時間を決めたいと思いますがいかがでしょうか。
B:そろそろチャペックから抜け出ないといけませんね。
A:ラジオ参加の方からおすすめの作品はありませんか?
B:短編というと実は少ないですよね。ロシア系が多いです。少なくとも岩波文庫は多くなくて、そして青空文庫に含まれているとなるとさらに少なくなりますね。最近、本屋に行くとそういった短編を見るようにしていて、薄くていけそうかなというもの、かつ今まで行っていない国を選ぶようにしています。読書会のことを考えながら本屋で回っています。そんな習慣がつきました。アンデルセン、ヘッセ…。アフリカ文学もあります。『やし酒飲み』です。池澤夏樹さんが世界文学全集を出していて、それの中にも入っているアフリカ文学です。そして最後が魯迅の『阿Q正伝』ですね。この本の名前を中学校の国語の副読本でみて以来覚えていました。中身を見てみると、もうコントなんですよね。ドリフみたいな感じです。阿Qという人が主人公ですが、どうでもいい人なんです。ダメな人。その人についての正伝を書いているんです。阿Qがいかにダメなやつかということを書いているんだけれど、そのやりとりが面白いです。辮髪ってありますよね。路上で戦うんだけれど、その辮髪を掴んで壁にガリガリやるとか。全部読んでみてもなぜそんなに評価されたのかわからないんですよね。
C:魯迅だと『故郷』もありますね。『狂人日記』も。
B:それを加えてその三つが代表作なんだけれど、『阿Q正伝』が一番有名のようです。魯迅は、中国のモダニスト、近代作家と呼ばれていて、日本でいうところの夏目漱石のような扱いのようです。でも『阿Q正伝』を読んでも何がモダニストなのかはわかりませんでした。
C:中国は一つの大きな山ですよね。
A:もうちょっとまだ西に行きませんか。アジアに行ったらおしまいな気がします。
B:なんでおしまいなんですか。
A:ちょっとずつ西に向かって行きたいなと思います。
B:アフリカはどうですか?
A:アフリカだと通り越しているような気がします。フランスのちょっと手前はどうですか?ドイツとか。
D:ジョージ・オーウェルとかはだめですか?
B:ジョージ・オーウェルは青空にはないですよね。そして長くないでしょうか。
D:『動物農場』とか『1984』もそんなに長くないような気がします。
B:ジョージ・オーウェルはイギリスですよね。
D:イギリスですね。
B:ヘッセなんかは短くて良いですよね。『漂泊の魂』です。
D:『東方巡礼』ですよね。
C:私はその本読みたいと思っていました。
D:苦労して読みました。全集を借りました。
C:ヘッセで有名なのは『漂泊の魂』ですか?
B:有名なのは『車輪の下』ですよね。
A:聞いたことあります。
B:青空文庫にも…。ヘッセはドイツでしょうか。
A:ちょうどいいですね。
B:チェコから少ししか西に行ってません。
A:ちょっとずつ行きましょう。
C:私はどれも読んだことありません。
B:『漂泊の魂』は手に入れやすいと思いますよ。本屋にもすぐ補充されると思います。
C:では『漂泊の魂』にしましょうか。
B:そのうち『やし酒飲み』も行きたいです。
D:『やし酒飲み』面白そうですよね。でも青空はないんですね。
B:アフリカの文体はすごいらしいです。そのアフリカの文体をそのまま生かした訳なので「ですます体」と「である体」が混合しています。
C:読みにくそうですね。
B:本人が書いたあとがきもそのように合わせているらしいです。アフリカ文学ってなかなかないので、そのうちもう少し西に進んだら行きましょうか。
D:まだユーロが残っていますからね。
A:ユーロが終わった後に行きましょう。
C:だいぶ時間かかりそうですね。
B:『漂泊の魂』という表題のものと、『クヌルプ』というものがあります。3種類くらい訳が出ているはずです。
C:ヘッセはドイツ生まれだけれどスイスの作家だと書いてありますね。
A:ちょうどいいですね。土地的にも。
C:では、ヘッセを読みましょう。『漂泊の魂』は1915年に書かれているようなので、年代的にはいい感じですね。
B:漢字多めですよ。
C:日にちは、23日水曜日10時でお願いします。