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第8回みらいつくり読書会 開催報告

みらいつくり大学校企画
第8回みらいつくり読書会@zoom
(今回から通し番号になりました)

【課題図書】
トルストイ『イワンの馬鹿』

【実施日時】
2020/7/10 10:00~11:00

【参加者】
A,B,C,D (全4名)

【内容】
A:今回から、1週目に問いをつくって、2週目にそれについて再読をして追求するという流れを、そのまま続けるか迷っています。こないだの芥川を読んだ時には、問いをつくりつつ、つまり視点を共有しつつ新しい本を読んでいくということもしてみました。それが面白かったなと思います。特に今集まっている四人に関しては、前回も同じ経験をしてもいますので、問いを立てるとかいうことはあまり考えすぎず、でも後半では次回につながるような視点に絞っていきたいとは思っています。次回トルストイでなくても良いですし、もう一度同じ作者作品である『イワンの馬鹿』を読もうとなっても良いと思っています。それでは感想からいきたいと思います。
B:誰からいきますか。
A:私からじゃあ。すごく面白く読みました。楽しかったし、トルストイは何を批判しようとしているのか、と読みました。私は芥川を通してそんな本の読み方を身につけたんだなと感じました。この本に出てくるシモンとタラスの、兵隊とお金というものの際限の無さ。それは多分資本主義なんだろうなと思いました。それらを批判しつつ、イワンに表されている「労働観」、「労働の尊さ」がテーマだと思いました。物語の途中から「馬鹿」という意味が変わってきますよね。それを面白く読みましたし、最後のオチでマルタが出てきます。「つんぼでおし」のマルタです。マルタがオチに使われていることもユニークだなと思って読みました。簡単ですが、際限のない資本主義におけるお金・土地などを所有していくことへの批判が込められているのかなと考えながら読みました。
C:私はこの本読んだことはなくて。それを主人に話したら、「この本って三匹の子豚だよね」って。「昔読んだ時に三匹の子豚の記憶がある」って言われました。すごい例えだなと思いましたが、確かに兄弟で、コツコツしているのと、楽観的に考えて行動しているお兄ちゃんたち。そういう捉え方だったなと思いました。この本を読んだ時に、あの人を思いました。小畑さんです。知っていますか?ボランティアの。
B:スーパーボランティアのね。
C:そうです。スーパーボランティアの小畑さんです。子どもを助けた時に多分すごい匂いがしたんだと思うんですよね。「お風呂入ってください」「ご飯食べてください」と言われたけれど、小畑さんは「風呂も入らないし飯もいらない」みたいに言っていて、今も熊本の被災についても気にかけながら自分がいる大分で自分ができることをコツコツとやっているようなんです。そういう自分の目の前の労働とか働くということに対して、信念を持ちながら続ける。それは信念ではなくて人間として当たり前のことなのかもしれませんが。それにああしたいこうしたいあれが欲しい、こんなものが食べたい、こんな服がきたい、という欲が混じって、そういう発想なっているのかもしれません。この本は、人間もともとは働いてご飯を食べるっていうことなのかな、と気づく話だなと思いました。私も面白い話だなと思って良い風に捉えて終わりました。以上です。
B:トルストイは初めて読みました。ロシア文学はきっちり読んでみたいと思いつつ、読めないというか。『カラ兄』とかから行っちゃうからいけないのかもしれないんですが。何回もチャレンジしているけど、一冊目で読めないみたいに終わっちゃって。今回短いから読み切れました。めちゃ面白かったです。Aくんと同じで、芥川を読んだ後だからか、割と「どういうことを比喩としているのか」ということを考えながら読みました。もちろん資本主義批判みたいなことはあると思うんだけど、それだけじゃないんだろうなと考えています。だから今日議論を通して見えてくるものがあるんだろうなと思って楽しみにしていました。一つは、キリスト教的なベースで考えているんだろうなと思うと、三人というのは別かもしれないけれど、「荒野の試み」を思い出しました。イエスは神様の息子です。そのイエスが公的な生涯を歩む前に、荒野という何もない砂漠のようなところにいると、悪魔が出てくる。そして悪魔から試みを受けるという話があるんです。新約聖書にあります。その中身と似ています。悪魔が出てきて、これを何にでも変えてやるぞと誘惑する。イエスは拒否します。そこから有名な「人はパンのみに生くるにあらず」という言葉ができました。日本語にすると「人はご飯を食べるだけのために生きているわけではない」という意味の翻訳に見えるけれど、「変える」ということがそうではないと。暴力とか、支配するとかいうものを退けて、悪魔の試みに打ち勝って初めて神様のことを伝えられるようになるんだというようなことを言っています。そんな内容と重なりました。試みられるというか、やはりここでも悪魔が出てくる。試みられている内容が類似していると思いました。あとは前回の芥川の延長で、今ニーチェを読み直しているのですが、今はアメリカ人の学者が書いた『生の肯定』という本を読んでいます。ニヒリズムの克服について書いた本です。ニーチェのやろうとしたことは、価値転倒というか、それまで素晴らしいとされてきた、お金とか、道徳とか、「こうしなければならない」「こうしてはいけない」とかいうものを、全て転覆させることだったとありました。この話も似ているのかと思いました。イワンは「馬鹿」と言われています。後半になるとむしろイワンの馬鹿さが本質なんだ、と読んでいて思うようなつくりになっている。兄たちが重きを置いている価値よりも、馬鹿と言われながらイワンが重きを置いている価値の方が、圧倒的に正しいと思ってしまう。また、キリスト教的だと思ったのは、聖書の中にある「放蕩息子の例え」とのつながりも感じました。イワンは徹底的に「いいよ」と許します。トルストイがどのような思想のバックグラウンドがあったかはわかりませんが、キリスト教でいう愛を表現しようと思って、イワンを描いていると思いました。途中から、イワンがイエスをモデルにしているのではないかと思ったくらいでした。
D:勘違いしていて、この本を以前に読んでいたと思っていましたが、それは『イワン・イリッチの死』でした。初めてでしたが面白く読みました。まず調べてみると、『イワンの馬鹿』は、ロシア民謡に繰り返し登場する人だとありました。なので『イワンの馬鹿』にはいろいろなパターンがある。そのうちの一つ、トルストイのバージョンがこれのようです。『イワンの馬鹿』は英語だと「Iwan The Idiot」ですよね。まさに『Idiot』と言うタイトルでドストエフスキーが書いている作品があります。『白痴』です。多分、ドストエフスキーは『イワンの馬鹿』の別バージョンとして『白痴』を書いたのだろうと想像しました。『白痴』も読みましたが、これは知恵が遅れた人が聖人であるという話です。『アルジャーノンに花束を』のモデルに『白痴』の主人公があると言われています。頭の弱い聖人の人です。もう一つ面白かったのは、三人兄弟の構成です。姉妹も一人います。武闘派の長男と、金持ちの次男、無垢な三男。これは『カラマーゾフの兄弟』と似ています。『カラマーゾフの兄弟』は、長男は腕っ節が強くて、次男が屁理屈、三男が聖人のように純粋です。カラマーゾフは未完の作品ですが、第4部で、ドストエフスキーはおそらく三男をキリストとして描こうとしていたと言われています。これとも類似性があると思いました。もう一つ思い出したのは、ジャック・アタリの『21世期の歴史』です。これから21世紀に3つのことが起きると言っています。彼が起こると言った一つ目が「マネーによる暴力」です。資本主義が極地にいった時に格差が広がり、そして金持ち、グローバル企業はおそらく民兵を雇うようになるだろう、と。その軍隊の方が国の軍隊よりも強くなった時に、露骨な暴力が発露すると。マネーの暴力の次には、本当の軍隊による暴力が人類を蹂躙するだろう、と言っています。ジャック・アタリはユートピア主義なので、その後には人類愛に根ざすような本物の民主主義が訪れるであろうと言っています。この三つの構成は、三兄弟で言うと、まず次男的なもの、そして長男的なもの、そして最後にイワンの馬鹿的な世界になるということです。それとも似ていると思いました。
A:先ほど話した「何を批判したか」という読み方と同時に、「何から影響を受けたか」ということも考えながら読みました。私も聖書が明らかにこの背景にあると思いました。荒野の試み、放蕩息子の話です。でも悪魔については、トルストイは非常に滑稽に描いています。圧倒的な力をもつ悪魔ではなく、ちょっとお馬鹿な悪魔です。最後の頭を使って働くという駄洒落のような面白さもありました。
D:僕は芥川の『犬と笛』にも雰囲気、構成が似ていると思いました。
C:確かに似ていますね。
B:似ていますね。
D;悪魔が超自然的な力を授けるところです。芥川が、こういうものを真似てみたことは十分ありえると思います。芥川が、トルストイを読んで、日本の子どもたちに向けて書く時に、日本的な解釈を加えて表現した可能性はあると思います。
B:日本語訳も最高なんでしょうね。非常に素晴らしいんだろうなと思って読みました。
D:タラス王、次男を悪魔が滅した方法も面白かったです。これはハイパーインフレのことですよね。金を配ったら金の価値がなくなったという話です。日銀の異次元緩和です。これからの日本を預言しているのではないかと思いました。悪魔が日銀になったという話ですよね。
B:王が出てきますよね。主題となる人たちとともに、王が出てきます。芥川の『犬と笛』もそうでしたが、支配している人が登場し、そこからの見方が物語として用いられています。今回はタラカン王が登場します。また、なぜ印度だったのでしょうか。西方から印度に攻めると聞くと、アレクサンダー大王を思い出します。なんでインド王なんだろうと思いました。
A:他国、違う国で戦争をする相手と考えるとインド、というように捉えられていたのでしょうか。
D:地理学的には中国を挟んでいますからね。
A:確かに、インドではなく中国でも良いはずですね。
B:なぜインドなのか不思議に思います。アレクサンダー大王の時代にはインドは強大でしたよね。でも紀元後はあまり世界史に登場しないように勝手に思っていました。ロシア的には、モンゴルの方が驚異だった気もします。ロシアは支配された歴史を持ちませんよね?
D:そうですね。モンゴルに一時なったことはあったはずです。モンゴルとの混血は進んでいるはずです。
B:あの時代は全世界がモンゴルの影響下にありました。圧倒的な強さでしたからね。
A:トルストイのイメージしていた資本主義に対する思想を社会主義といって良いかわかりませんが、トルストイがイメージする社会主義国家は、後半に出てくるイワンの国のようなものだったのでしょうか。
B:僕は社会主義を表現しているとは思いませんでした。
D:この本が書かれたのが1886年です。これはロシア革命の前です。共産主義化していないロシアです。話が逆のような気がするのは、ロシアにはそもそも土と結びつくと言ったような思想があります。日本でいう農本主義のようなものです。伝統的なものです。「土とともに生きる」、「土地」と「血」がロシアのアイデンティティです。それがあったからこそ、マルクス主義が入り込みやすかったと考えた方が筋は通ると思いました。全世界にマルクス主義が根付く可能性はあったはずですが、なぜか中国とロシアで根付いたのは、中国とロシアにそもそもそのような素地があったと考えた方がいいのかなと思いました。
B:そういうことをエマニュエル・トッドが言っていますよね。『世界の多様性』だったかで書いています。あの本は結構好きでした。その国の伝統的な農村の家族世帯と、その後その国が政治的にどのようなイデオロギーをとるかについて分析した本です。ロシアは、伝統的な農村だと、共同体社会で、結婚した後も、みんな大家族で住んでいます。そういう国が社会主義を選択していったという話でした。その中にある大家族で暮らすということは、農業、つまり集団でその場でする活動をしているからということがありますよね。
A:つまり、トルストイがしようとしたのは、生まれかけの資本主義に対して、すでにある「手でものを作る」と言ったようなロシアの農本主義に戻ることだったのでしょうか。
B:そのように読めますが、本当にそうだったかはわかりませんよね。
A:普通に読むとそうですよね。
B:でもそういう風な人たちを馬鹿にする背景があったのかもしれません。「あいつはただ農業やっているだけじゃん」というようなことです。「もっと効率的に儲けることをすべきだ」というような話です。
D:力の源泉がどこから来るのか、という話でもありますよね。金から来るのか、それとも武力・軍事力から来るのか、『イワンの馬鹿』の筋書きでは、それは「労働」からくるんだというのが結論です。ここには「非暴力」というテーマもあります。軍隊に対して抵抗をしないから、軍隊は蹂躙することが馬鹿らしくなるくだりが描かれています。
C:韓国の映画でありましたよね。農村で武力を知らない農民たちが、たまたま入ってきた兵隊の鉄砲を見ても驚かないで兵隊を受け入れていく話です。
B:ファンタジーっぽい映画ですよね。韓国でもそういう話は人気があるのでしょうか。Netflixで韓国ドラマの『アスダル年代記』があります。あの中にもそのような村が出てきます。いわゆるユートピア的社会です。ここでは武力を使わない、そこに外からアスダル国が侵入してきて奴隷として捉えていくんです。戦いを知らないその部族がどのように翻弄されるのか、でもその中の娘の一人がアスダル国の王になるという話です。つまりそのような話は普遍的にあることなのかもしれません。
D:最後に、悪魔の親分が塔のてっぺんで演説を始めます。悪魔が、いかに手を使わないか、頭を使うかを説いたところです。でも人民たちはその意味が分からなくて帰っていきます。今この時代にとって大切なことだなと思いました。『金持ち父さん貧乏父さん』という本があります。ロバートキヨサキが書いています。彼はトランプの親友です。同業者で共著を出しています。彼らは不動産を転がすことでお金を儲ける人たちです。一億円で買った不動産を二億円で売って、利益を上げることに快感を覚える人たちです。僕にとって『金持ち父さん貧乏父さん』は世の中で一番嫌いな本です。本当につまらなかった。なんで人気があるのかはわからないです。本当にひどい。「まず貧乏父さんの話をしよう」とプロローグが始まります。「大学を卒業して四十何年間高校教師としてコツコツと働いたお父さん、君はこんな人になりたいかい?」と書いています。僕はなりたいです。
C:なりたいですね。
D:「じゃなくて『投資とか株とかの利益で儲けて南の島でテキーラを飲む』こっちになりたくないか?」というんです。僕はなりたくないです。導入から入っていけない。『イワンの馬鹿』で書いてある悪魔の方法です。「頭を使って手を使わないで働く方法を教えてやるぜ」ってことです。そういう人たちの人気があることの方がおかしいと思っています。イワンの国の人たちがばかばかしい話だと思って帰っていったのは健全な話だなと思いました。
B:最後に年寄った悪魔が、結局塔から落ちて頭を打ちます。今話していたことに価値を置くということがいとも簡単に崩れ落ちるんだということを書いていますよね。そして毎回、悪魔が倒れた後には、穴が残ります。毎回です。この穴は何を喩えているんでしょうか。トルストイは「穴が残りました」と書くんですよね。
C:消えてなくなってもいいはずですよね。
A:「頭を使って効率よく手は汚さない働き方」と「シモンとタラス」はイコールではありません。似ているけれど同じではありません。結びつきやすくはあるけれど、違うものです。
B:兵力は他者を支配する、コントロールする力ですよね。お金は所有することです。他者を支配しようとする欲と、より多くを所有しようとする欲を代表して、二人の兄を書いていると思いました。イワンはひたすら真面目に働きます。そんな武力とかお金に頼って生きようとして悪魔に唆された兄にも分け与えます。いわゆる私的所有をイワンはしません。当時価値があるとされていたものを持たない人を、みんなは馬鹿と呼んでいるかもしれないけれど、そちらに真理があるんだということだと思います。
D:悪魔の退散の仕方が、僕は信仰者として面白かったです。「神様の祝福がありますように」と言った時、悪魔が神の名によって死にます。4回それがありますが、そのどれも、イワンは悪霊を退散させようとしているわけではありません。そこが面白いと思いました。悪魔に対抗するというのは、神に従って生きることの副産物であって、退散させるために御名を唱えたわけではありません。神を敬う挨拶を無意識にしたことが意図せずして悪魔を退散させたんですよね。それは僕らの信仰者としての生活にも言えると思っています。「悪魔よ去れ」という祈りがあります。したらいいとは思うのですが、でもそれ以上に神を敬う生き方をしていたら、僕らが期せずして悪魔は退散していくんだなと思いました。
B:そうすると悪魔自体も、人と同じ価値観をもっているというように描かれていますよね。年寄った悪魔は「キリスト様の名によって何かを与えられることはできないことでした」とあります。なのでこんなに金はあるぞと言いながら、ひもじい腹を抱えて横になったとあります。人間から見て、悪魔を外的なものとして描いていないのだと思います。そういう欲望を持った人間の例えとして登場させています。ロバートキヨサキ的な悪魔です。悪魔が来て「こんな父さんになりたくないだろ?」と話すということです。
C:でも逆に『金持ち父さん貧乏父さん』を読んでみたくなりました。
D:すごく売れていますからね。
B:最初にAくんが言っていましたが、最終的に彼らがご飯を食べられるかを判断するのが「おしでつんぼ」の娘ですよね。手がゴツゴツしているかどうかを判断します。
A:最後に目が見えなくて耳が聞こえない障害者が描かれているのも面白いですよね。
B:マルタは目も見えないんでしたか?
C:耳が聞こえないだけだと思いました。
D:手で触って判断しているから、目が見えないのかと思ってしまうけれど、そうではないですよね。「つんぼでおし」は今ではあり得ない表現ですよね。
A:絶対だめですよね。
B:目は見えているんだから見ればわかるでしょうと思うけれど、それでも手で触って判断しているんですよね。そこをよく考えるとなんでだろうと思いますね。
A:「おしでつんぼ」はそういうことですね。
C:昔は「みみつんぼ」という言葉がありました。
D:今ラジオでそれを言ったらもうラジオ局が潰れるでしょうね。
B:障害差別は言葉から生まれるというのはそうだと思います。表現する言葉がなければみんな同じように差別はしないと言いますよね。
A:ここでは、「つんぼでおし」という言葉を使いつつ、マルタはむしろよく知っている人として描かれています。
B:最初はよくわからないまま進みますよね。イワンの馬鹿みたいになりたくないでしょ、と言われながら、読者はそうじゃないでしょと読みます。
D:僕は『イワンの馬鹿』の思想性に、すごく賛同するんだけれど、あえて批判をするならと考えました。ヨーロッパにはもちろんですが、ロシアにもユダヤ人差別があります。ユダヤ人を差別するということはローマ帝国時代からずっとあるんですよね。キリスト教が国教になってからは、キリストを十字架につけた民族とされて、マルチン・ルターもユダヤ人差別に加担したと言われています。ロシアでもボグロムと言うユダヤ人虐殺が起きています。ヨーロッパにいられなくなったユダヤ人は結構ロシアに逃げています。ウクライナとかは結構多いのですが、ウクライナでもボグロムがありました。歴史は繰り返されていて、この時代にもあったはずです。ヨーロッパにおけるユダヤ人差別って、直接的には土地を持てないということと、普通の商売をさせてもらえないということがあります。だから彼らは苦し紛れに金融業を始めました。だから今の金融業の世界的な大手であるロスチャイルドとかの財団がユダヤ系です。銀行のルーツがユダヤにあるというのはそういう事情があります。そんなことを考えると、最後に出てくる紳士を、ユダヤ人と読み込む当時のロシア人はいたのかなと思いました。最後にユダヤ人を馬鹿にして終わるという話だとしたら、怖い話になりますね。
C:怖いですね。
B:次以降ですが、ロシア文学をもう少し読みたいですね。でもトルストイは青空文庫にはあまりありません。
A:同じ時代のロシア文学を読むと当時あった農本主義的な思想や資本主義に対する思想がわかるかもしれませんね。
B:でも他の作品は『イワンの馬鹿』の2倍3倍くらいありますね。残念ながら『イヴァン・イリイチの死』がありません。ロシア文学だと、チェーホフはありますね。短いのでしょうか。
D:長いイメージですね。舞台劇がありますね。短い子ども向けもあります。
B:ドストエフスキーもありますね。『百姓マレー』があります。これは短いですね。
A:青空で選ぶのもいいし、青空ではありませんが『イヴァン・イリイチの死』でもいいですね。
D:青空縛りを外せばそうですね。
B:『イワン・イリイチの死』は、岩波と光文社の古典新訳文庫がありますね。『イワン・イリイチの死』読んでみたいですね。有料ですけど。
C:そうですね。図書館にも行けるようになりましたし。
B:では、『イワン・イリイチの死』を、岩波でも光文社でもどちらでも良いということにしましょうか。
D:ガンジーは、トルストイに最大級の影響を受けたとあります。だからそう考えると、非暴力ともつながっていますよね。
A:『イワン・イリイチの死』がどのようなテーマかはわかりませんが『イワンの馬鹿』で示されたような「労働」とか「資本主義批判」といったことを念頭において読むことにしましょう。
B:全然テーマは違うようです。死について考えるというようなことのようです。
A:次は7月31日にしましょう。お疲れ様でした。