2020年6月11日(木) 13:30~15:00で、第5回となる「みらいつくり哲学学校オンライン」を開催しました。
奇数回は、大阪哲学学校編『生きる場からの哲学入門』を課題図書にしています。
第5回は「砂漠のなかのオアシス -沖仲士の哲学者ホッファーに学ぶ、生きる場で哲学するためのルール」でした。
「沖仲士(おきなかし)」って、聞いたことありましたか?
船の荷物の積み下ろしを行う港湾労働者のことを言うようです。
想像するに、大変そうな肉体労働、という感じですよね。
この仕事をしながら「思索」をした哲学者が、今回取り上げるエリック・ホッファー(1902~1983)です。
ドイツ系アメリカ人としてアメリカに生まれたホッファー。
7歳で母と死別したことをきっかけに失明、その後なぜか15歳で視力が回復するまで、小中学校などの公教育を受けることが無かったようです。
視力が回復した後、何かを取り戻すかのように本を読み始めたと言います。
18歳のとき、父とも死別します。両親との別れを通じて、「誰とでもいつなんどきでもまったく何の苦悩もなくすぐ別れられる」と考えるようになり、同時に「ホッファー家は寿命が短い人が多いので、自分も40歳で死ぬんだ」と考えるようになったようです。
公教育を受けることの無かったホッファーが就ける仕事は限られています。ホッファーは、ロサンゼルスのドヤ街での日雇い労働やカリフォルニア州での渡り農業労務者としての仕事をする中で、フランスの哲学者モンテーニュ(1533~1592)による『エセー』という本に出会います。世界的にも大きな影響を与えた「随想録」という形式の「哲学書」ですが、ホッファーは「このような本であれば自分にも書ける」と考えたそうです。
29歳(1941年)のとき、サンフランシスコの「沖仲士」の仕事に就きます。1967年に辞めるまで、四半世紀に渡って続けたことになります。
沖仲士としての大変な肉体労働をしながら思索をする。なんだか乖離しているようにも感じますが、ホッファーはそこにこそ意義を見い出します。
ホッファーの言葉を引用します。
「わたしは専門的な哲学者ではない。抽象的なことは扱わないからだ。一枚の葉や一本の枝が幹から育つように、わたしの思想は、生活のなかから育ったものなのだ」
「私はこれまでずっと、肉体労働をしながらものを考えてきました。すばらしい考えは、仕事をしているときに生まれて来たのです。同僚と話しながらくり返しの多い作業に汗を流し、頭の中では文章を練り上げたものです。頭を下げ、背中を伸ばしているのが、何かを考えるには最善の姿勢なのかもしれません。あるいは、魂は、同時に二つの方向に引っ張られることによって、生産的に働くようになるのかもしれません」
ホッファーは、
「労働/仕事」 と 「思索」 が両立しうる
もっと言うと
「労働/仕事」 によって 「思索」 がより生産的に働きうる
と言うのです。
ディスカッションの内容を列記します。
・確かに、仕事をしながら色々考えていたときの方が、充実感があるような気がする
・「労働=生活すること」だとしたら、ホームレスの方々についてはどうなんだろうか?彼らの中から起こってくる哲学というのもある気がする
・今回の内容にあった「社会において不自由な状態にある人々から起こってくる哲学」として、ロック音楽とかもそうなのかな
・実家で暮らしていたときは家族が全てやってくれていたことを、自立すると自分でやらなくてはいけない。実家にいたときは、ケアの待ち時間に天井を見つめながら思索をしていた。自立してからは、一日中忙しく、天井を見つめる時間も無い。でも、今でも思索をする時間はある。誰かと会って会話して、その後で「あれってどういう意味だったのかな?」と考える。今思うと、実家にいたときの思索は、独りよがりだったと思う
・「学問としての哲学」と「生きる場からの哲学」の違いは何だろうか
・哲学学校の奇数回(生きる場からの哲学)と偶数回(ハイデガー『存在と時間』)って、内容が離れているようで実は近いのかもしれない
今回も、自分たちの「生きる場」によせて「思索」をしながら対話することが出来ました。
次回第6回は偶数回としてハイデガーの『存在と時間』を読みます(今回の報告が遅くなり、第6回は本日6月16日午前に終わってしまいました…)。
第7回はまた『生きる場からの哲学入門』より、「現代の仕事とアイデンティティ -対人的サービス労働のために」を扱います。これまで主催者である土畠が毎回のレジュメを作成して報告していましたが、第7回からの奇数回ではいよいよ参加者がレジュメ作成と報告を行います。
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