【アイスクリーム】
「バニラとイチゴ、どっちがいい?」
あなたはどちらを選ぶかな
私はどちらを選ぼうか
「ごめんね君は食べられないよ」
どうして私は食べられないの?
誰も答えてくれないよ
「食べてみたらいいんじゃない?」
誰かが一口差し出した
もっともっとと食べすぎて
おなかが痛くなったけど
ひんやり甘くて、美味しいね
「バニラとイチゴ、どっちがいい?」
あなたはどちらを選ぶかな
私はどちらを選ぼうか
「ごめんね君は食べられないよ」
どうして私は食べられないの?
まだ誰も答えてくれないけど
「私にだって食べられるのよ」
暑い夏に食べるアイスの美味しさを
私はもう知っている
week2「交流週」
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私も、暑い夏に食べるアイスの美味しさを知っています。でもその美味しさを知る前のことは思い出すことができません。初めて知ったときのことも思い出すことができません。何かを知ったり経験したりすることの嬉しさ、新しい世界に触れるドキドキ、日常の中に埋め込まれた幸せ、そんなことを大切にしたいと思いました。
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「誰かが一口差し出した」のところが好きです。
「どうして私は食べられないの?」という問いに逡巡する「私」
「誰も答えてくれないよ」という言葉が浮かんだ(鍵カッコではないので、たぶん「あなた」には言っていない)刹那、「食べてみたらいんじゃない?」という「誰か」がいたのだという喜び。
でもその後も、 まだ誰も答えてくれないけど という変わらない周囲の状況。
最後に「私にだって食べられるのよ」という強い主張。
「暑い夏に食べるアイスの美味しさ」を「もう知っている」のは、「誰かに一口差し出されて食べすぎておなかが痛くなった」「私」なのか、それを一緒に経験した「私」なのか。それとも、同じ時間と空間を共有した「私(たち)はもう知っている」ということなのか。
誰も答えられない問いを、ニヤリとしながら乗り越えていく「共犯関係」の二人を想像してしまいました。
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暑い夏に食べるアイスのおいしさも知っているどころか、バニラとイチゴのおいしさもきっと知っている。知っていることきっとたくさんあるんだろうな。
ーーー
そんな場面に出くわしたこともないはずなのになぜだかある特定の場面を想像してしまいました
秘密の代償は腹痛
でもその秘密は食べられなかったアイスよりも大切なものかも
アイスが僕たちにもたらす幸福がこの詩を見てさらに味わい深くなります
ちなみに僕は抹茶派です
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「少しくらい食べてみたらいいよね」何度その言葉をかけたくてもかけられなかったことが多いことか。
week3「推敲週