西理沙
中学生の私の得意技は、食を想像して自分の唾液で味を感じることだった。
ああ、あれが食べたいなあと脳内で思い浮かべると、その味を自分の口内で再現できるのだ。炊き立ての白米の甘さや、父の作ってくれる広島風のお好み焼きの香ばしさ。ハンバーグの溢れ出る肉汁に、とろける美味さのアイスクリーム。授業中に想像しては、口内を幾度となく味わった。
この特技は自分だけの秘密の楽しみにとどまらず、仲の良い男友達に自慢げに話していた。私、想像したら、味再現できるから。え、やってみてよ。いいよ。じゃあ、ご飯ね。あ、今、味! 甘い、甘いわぁ。やってみなよ、できるから。え、できないよ。うーん、想像が足りないね。想像だよ! 想像。
あの頃は、なんと純粋に食べることに集中していたのだろう。給食の時間を励みに、退屈な授業をこなしつつ、朝から今日のメニューのことで頭はいっぱい。朝の会では本日のメニューが恰幅のよい先生によって高らかに発表され、一喜一憂。食べ終わったとたんに、明日のメニューのことに想いを馳せる。
大げさじゃない。
少なくとも私はそんな毎日を過ごしていた。
思春期真っただ中。私を作っていたのは間違いなくあの給食だ。
あれから10年がたった。
まさか、また、そんな日々がくるとは。
ねえ、今日のメニューなんだっけ。何だったかなあ。〇〇さん担当だったと思う。へえ! それは楽しみですねえ。
自宅からお弁当を持ってくることの多い私でも、こんな会話に囲まれると堪らない。とたんに頭は食堂のメニューのことでいっぱい。
どんな風に作っているんですか? 隠し味は? 思ったよりも簡単そう。だったら今夜うちで作ってみようかしら。冷蔵庫に昨日のおかずがあるから、それとこれと作って、お味噌汁とご飯があればもうごちそうよね。いいですね、うちはカレーにしました。昨日の食堂のカレーがあまりにも美味しそうで。
今日も私は想像する。
明日の食堂のメニューのこと。みんなのおうちのご飯のこと。誰と食べているのかなあ。教えてもらったレシピ作ったのかなあ。
気づいたら、職場のあの人から、あの人になっていた。
患者さんのあの人から、あの人になっていた。
私たちはきっと、みんな同じ線に立っている。
食べるってすごい。
みんなで食べるってすごい。