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第29回 みらいつくり哲学学校 「第15章 生きがいへの問い(その3)意味と無意味の間」開催報告

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22/2/2

 

2022年2月1日(火) 10:30~12:00、第29回となる「みらいつくり哲学学校オンライン」を開催しました。

 

奇数回は、渡邊二郎著『人生の哲学』を課題図書にしています。

今回取り扱ったのは、「第15章 生きがいへの問い(その3)意味と無意味の間」です。

レジュメ作成・報告は、「みらいつくり大学」教務主任の宮田直子が担当しました。

 

現代における生きがいの方向として、ヒューマンな努力を積み重ねる重要性が前回、語られていました。

それらを実現するためには、各人の熟慮すべき課題・自身の思慮と実践を行う必要があります。

「人間はそもそもいかに生きるべきか」という生き方の指針は、人生観・世界観・人間観、哲学・倫理・宗教・思想史全遺産などから参照することができます。

 

「生きがい」を「生き方」として考え、問いをもち、「人生論」の広範な知の再発掘の試みを筆者は提案しています。

 

人間観の系譜として、個別的内実に触れ自分を磨くことに全精力を傾注することが重要です。

 

東西の思想史を振り返ると、

東洋は仏教の教え、無常の人生に対する心構えを示唆しており、中国儒教・老荘思想は人論の道のあり方、融通無礙(行動や考え方が自由でのびのびしている)の生き方の指数として考えられます。

西洋は、哲学・倫理・宗教上の諸思想=人間とは何であるかということを考え、最初期は古代ギリシア思想。古典期は、ソクラテス、プラトン、アリストテレスなどがあげられます。

 

キリスト教は、以下のような歴史の流れがありました。

・教父哲学~アウグスティヌス

・スコラ哲学~トマス・アクイナス

・ルターの宗教革命~カトリック、プロテスタント

 

西洋の近代思想は、ルネサンスの胎動(めばえ)とも言え、以下のように発展していきました。

・経験論~「イギリス経験論」イギリスを中心とする、心理の源泉を「経験」に求めたもの

(ベーコン、ロック、ヒューム)

・合理論~「大陸合理論」、認識の源泉に「理性」を重視

(デカルト、スピノザ、ライプニッツ)

・経験論+合理論=ドイツ観念論

・ドイツ観念論~カント→フィヒテ、シェリング、ヘーゲル

・生の哲学~ショーペンハウアー、ニーチェ、ディルタイ、ベルクソン

・実存の哲学~キルケゴール、ニーチェ、ヤスパール、ハイデガー、サルトル、メルロ=ポンティ

・現象学~現実を直視する方法態度を重視(フッサール、シェーラー、ハイデガー、メルロ=ポンティ)

・深層心理学~フロイト、ユング

・解釈学~ガダマー、リクール

 

このように哲学史を振り返りながら、「生きがい」の探求は、現代の時代批判にも接続する大きな射程であると筆者は述べています。

 

人間は、底知れる深さと謎、他者の意表を突く反応と振る舞い、存在の深淵(奥深く底知れない)への戸惑いなどを抱えながら生きています。

テオプラストスの『人さまざま』では、嫌らしさ、醜さ、空とぼけ、へつらい、無駄口、怠け者、お愛想、無頼などの人間の振る舞い(人間批評)が描かれていました。

カント『人間学』や、ニーチェも「怠け者を友人にすると危険である。…働き者とだけ友情を結んだ方が利口である。」などと述べていたことから様々な人間がいることは、昔からの著名な哲学者も述べていたといえます。

 

フランスのモラリスト(モンテーニュ、パスカル、ラ・ロシュフコー、ラ・ブリュイエール)は、暗愚、虚栄などの人間の人生の実態を指摘しました。

また、ニーチェは、アフォリズム(秋霜烈日・しゅうそうれつじつ…態度や意思が激しく厳しいこと、厳正でおこそか)を通して生き方の覚醒について述べました。

 

人間学・性格学・タイプ論としては以下のようなものがあげられます。

・シェーラー、プレスナー、カッシーラ、ゲーレン~哲学的人間学

・ウィリアム・ジェームズ~合理主義者、経験主義者

・ユング(分析心理学者)~集合的無意識(深層心理)

「外交的」タイプと「内向的」タイプの二種類の人間典型を分類。人間は二つの振る舞い方の間で「均衡」と「補整」を取って生きる

・ニーチェ~「アポロ」的人間…美しい夢を見る造形芸術的。「ディオニュソス」的人間…秩序と節度を破壊し万物流転に陶酔する音楽芸術的

・ヤスパース~「精神病理学総論」人間の全体は類型によって究め尽くし得ない、人間の類型的図式的把握には反対

・クラーゲス~性格学…「粘液質」「多血質」「憂鬱」「多幸」「意思強調」「意志薄弱」「無意識の欲求」「意識的な意志」「自己保存的」「自己放棄的」

・クレッチマー~「分裂気質」「循環気質」「粘液気質」

 

人間の「生きがい」を考える時、「人さまざま」なあり方の尋常性・異常性、多様性に目を向けることが大切だと筆者は述べています。

 

人間とは何か?という問いは、主体的人生への問いとも言えます。

人生を意味ある仕方で生きることは、存在の上に意味ある世界を作り上げることを意味します。

「存在」を「了解」することで「意味」が生じます。意味が語りを持つことで、「言葉」の場が生起します。

人間の生み出した成果は、人間の創り出した文化(真善美・聖に関わる全ての所産)となります。

 

「意味」ある存在を目指すあり方は葛藤を生み、「無意味」という存在が出現します。

個人の生存はすでに存在する「既存在」であるため、「没意味」のままであるといえます。

存在のゆくえは見通しえないことから、自身の世界を構築しても追い越し超え出るものに打ち砕かれる「超意味」が起こります。

自己と他者の調和・協調、対立、矛盾、確執などの意味ある世界を構築するためには努力が必要です。苦難の根源となることから、逆意味と言えます。

 

自己変化は、時間の流れ、多様に異なった自己の飛散、分裂、解体は危険です。「異存在」つまり、「非意味」が出現します。

 

「生きがい」は「人生の意味」です。

「意味」ある人生のために「無意味」と格闘してゆかなければなりません。その時に、宗教、道徳、芸術、哲学、学問、科学などは武器になるだろうと筆者は言います。

 

「毎日の営みを大切に築き、人生を立派に生き抜く」ことが大切だとして、この章は終わりました。

 

 

ディスカッションでは、最終回だったこともあり、この本全体に関することが触れられていました。

最終回に近くなるにつれて、「~しなければならない」という文章が増えていました。このことについて、なぜなのか考察した方や段々と著者に共感できるようになってきたという方もいました。

また、この本は放送大学のテキストとして用いられていたことから、放送大学はどういった人が学んでいて、この講義を受講した人はどのような目的でこの科目を取っていたのか気になる。という疑問があがりました。

放送大学の話題から、この本が講義に用いられていた1995年の話題、そこからバブル、バブルを経験していない人、世代と世代ごとのメディアの影響などの話題に移り変わって行きました。

最終回のディスカッションは、全体の内容についてざっくばらんに話す時間となりました。

 

 

年代によって、Z世代、Y世代などの呼称があるようですね。皆さまは何世代ですか?

 

次回第30回(偶数回)が今年度の哲学学校最終回です。

次回は、2022年2月8日(火)10:30~12:00、ハンナ・アレントの『人間の条件』より「第6章 <活動的生活>と近代(44・45節)」を扱います。

 

来年度の課題図書も決まっているようです。近く詳細が公開される予定です。来年度も皆様と哲学ができることを楽しみにしています。

 

参加希望や、この活動に興味のある方は、下記案内ページより詳細をご確認ください。

皆さまのご参加をお待ちしております。

 

執筆:吉成亜実(みらいつくり研究所 リサーチフェロー兼ライター)

 

 

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