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2022.1.26
2022年1月25日(火) 10:30~12:00、第28回となる「みらいつくり哲学学校オンライン」を開催しました。
偶数回は、ハンナ・アレント著, 清水速雄訳『人間の条件』を課題図書にしています。
今回取り扱ったのは、「第6章 <活動的生活>と近代(41~43節)」でした。
まずは41節の内容です。
前回までにあったようなアルキメデスの点の発見と、それに伴うデカルト的懐疑の勃興に影響されて、<観照的生活>と<活動的生活>のヒエラルキー順位の転倒が起こりました。
この転倒を促した動機を理解するためには、「近代科学が発展したのは、地上の条件を改善し、人間生活を一層よいものにしようというプラグマティックな欲望のおかげであった」という一般的な偏見を取り除く必要があります。
自然(宇宙)からその秘密を奪い取ったのは望遠鏡という器具であり、人間の手の仕事でした。それによって、行為を信じ、観照あるいは観察を信じない理由は、ますます説得力をもつようになりました。
知識が確実なものとなることができたのは、以下の二重の条件のもとでのみでした。
①知識は人間が自身で行ったことにのみかかわる ⇒ その理想は数学
②知識は行為によってのみ実証できるような性格のものである
それ以来、科学的真理(永遠でなくてもいい)と哲学的真理(永遠であることを追求)は訣別しています。
17世紀に起こった変化では、観照と行為の伝統的順位がただ転倒されたという以上にもっと根源的な思考と行為の関係に係わっていました。
一方で、真理を眺めるというもともとの意味での観照は完全に取り除かれました。また、思考と観照は同じものではないとアーレントは述べます。
伝統的には、プラトン(おそらくソクラテス)以来、思考とは、人間が自分自身とかわす内部的対話であると考えられてきました。
この対話は、外部への現われを一切欠き、他の活動力をすべて多かれ少なかれ中断することさえ必要します。しかし本来、それは極めて活動的な状態であると言えます。
対話的な思考過程は、魂を準備させる方法で、思考を超え、言論を超えて真理の観照に精神を導く方法でもあります。
近代の転倒は、思考のみにかかわっていました。そのため、思考は行為の侍女となりました。
この転倒の根本的性格は、プラトン以来西洋の思想史を支配しているもう一つ別の種類の転倒によって曖昧にされています。
哲学思想と政治思想のプラトン的伝統は転倒と共に始まりました。この最初の転倒は、思考のパターンを大きく決定したと言えます。
それ以後アカデミックな哲学は、観念論と唯物論、超越論と内在論、実在論と名目論、快楽主義と禁欲主義等々の際限のない転倒によって支配されています。
このような転倒は、すでに古代後期の哲学の諸学派と共に始まっており、西洋的伝統の一部となっています。
このような転倒は、ガリレオの発見が引き起こした精神的結果であるとアーレントは述べます。
客観的真理は人間に与えられるものではなく、人間はただ自分の作るものだけを知ることができるという確信は、懐疑論の結果ではなく、立証できる発見の結果だからです。
近代哲学は、内省によって、人間が自分の感覚を感じる内部感覚としての意識を発見し、それだけがリアリティの唯一の保証であるとしたが、他方、世界を失ないました。
それによって、かつて偽りに満ちた滅亡する世界に別れを告げ、それとは別の、真理に満ちた永遠の世界に向かおうとしていた哲学者たちは、この二つの世界から共に身をひいて自分自身の中にひきこもるようになりました。
そして、17世紀以降の近代哲学は、認識と心理学の理論になって行きました。
哲学は、科学者の発見の原理を事後において見つけだし、それを、人間知識による自然のある総合的解釈に合わせようと一生懸命努力しているだけで、
その一方で科学者は、侍女さえ必要ではないと現代までそう信じられてきました。
哲学者は、科学者の必要としない科学の総合的理論について思い悩んで認識論者になるか、あるいは、ヘーゲルが彼らに望んでいたような時代精神の機関=時代の一般的空気を概念的明晰さをもって表現する代弁人になりました。
次に、42節についてです。
生産性と創造性は、近代初頭に最高の理想となり、偶像とさえなりました。
「なぜ」と「なに」から「いかに」への移動が起こり、過程(プロセス)が重要になりました。
それは、全てが生成の物語であるということを意味しており、近代科学の中で歴史意識生まれました。
そして、歴史科学の基本概念である発展が、自然科学の中心的概念になり、今や見られるのは、存在の概念ではなく、過程の概念であると言えます。
自然科学は、自然物が生じてくる「製作」の過程を人工的条件のもとで模倣しようとする試みです。それは実験を通して、過程の概念を取り入れました。
ホッブズは、制作と計算の概念を政治哲学の中にとりいれようとする試みをしました。
出来事はまったく予期しない事が最も頻繁に起こります。しかし、製作の形式で活動すること、「結果を計算する」形式で推理するということは、予期せざるもの、すなわち出来事そのものを考慮の外におくという意味です。
近代の世界疎外は、近代の世界疎外で、活動と観照との決裂は、以前観照者としての人間が占めていた地位に製作者としての人間が昇格したために起こったのではなく、実に、過程の概念を製作の中に持ち込んだために起こりました。
しかし、プラトンやアリストテレスの厳密に哲学的な著作では、仕事と活動の関係を、仕事を上位にして転倒しようとする傾向をもっていました。アリストテレス『形而上学』にも、それは現れています。
この観照(ソクラテス学派においてはじめて描かれている)の源泉は、かつては存在の奇蹟にたいする衝撃的な「驚き(タウマゼイン)」でした。
またもう一つは、プラトンのイデア説のなかにあり、この観照が、哲学の伝統において支配的になりました。
近代においては、製作を理解する場合の重点が、生産物や永続的な指導のモデルから製作過程へと移りました。
それによって、観照はもはや真理を生み出すものとは信じられなくなり、<活動的生活>の中での地位を失い、したがって普通の人間的経験の範囲の中での地位を失いました。
最後に、43節の内容です。
<工作人>が人間的可能性の最高位にまで押し上げられ、手段=目的のカテゴリーは全範囲に及ぶとする確信が生まれました。
それとともに、有用性の原理に還元することができるという信条も重視されました。
その結果、知性とは創意工夫のことであると見る態度がうまれ、そのようなメンタリティが見られる領域は、自然科学・古典経済学・近哲学のプラグマティックな傾向・デカルト的な世界疎外などにひろく見られるようになりました。
そうして、労働が<活動的生活>のヒエラルキーの最高位に昇格しました。
この転倒の前に、<工作人>の伝統的メンタリティに逸脱や変化が見られました。この原因は、近代精神において過程の概念が中心的な地位を占めたことです。
「なに」から「いかに」、物自体から製作過程への移行により、近代以前に行動の指標であり判断の基準として役立っていた標準や尺度を奪われ、交換価値が使用価値にたいして決定的に勝利しました。
それによって、あらゆる価値の相互交換性の原理が、次いで、価値の相対化が、最後に価値の無価値化が持ち込まれたと言えます。
製作は、生物学的生命の新陳代謝過程にぴったりと従う労働と異なり、かりに過程を経験するとしても、単に目的に至る手段として、つまり第二義的、派生的なものとして経験するにすぎません。
<工作人>の世界観の本質である有用性の原理に欠陥のあることが、「最大多数の最大幸福」の原理がそれにただちに取って代わったことで発見されました。
生産過程の最終生産物(エンド・プロダクト)は、もはや真の終わり(エンド、目的)でなく、生産された物が価値を有するのは、あらかじめ決められている目的のためにそれを使用できるからではなく、「それがなにかほかの物を生産するから」ということになりました。
ベンサムはここで、「苦痛と快楽の計算」を発明しました。
彼のいう「幸福」は、(快楽の総計)ー(苦痛)と表現できます。
すべての快楽主義の原理は、快楽ではなく苦痛の回避です。
苦痛は内省によって発見された唯一の内部感覚であって、経験される対象と無関係であるという点では、論理的で算術的な推理の自明の確かさに匹敵するとアーレントは述べます。
隠れた別の原理は、生命そのものの原理であると言えます。
苦痛と快楽、恐怖と欲望が、すべての観念体系の中で実現すると考えられているものは、けっして幸福ではなく、個体の生命の促進、あるいは、人類生存の保証です。
結局のところ、一切のものが関連づけられている最高の標準は、常に生命そのもので、
個人の利益は個体の生命、人類の利益は種の生命とも言え、常に利益と生命が同一視されて、生命が最高善であるのは当然であるかのように扱われています。
近代の知的歴史の転換点は、有機体生命の発展のイメージとパラレルに起こっており、重要なのは生物学的過程に移っていきました。
生物学的生命が同時に人間と自然との新陳代謝の過程である以上、あたかも、内省はもはやリアリティのない意識の迷路で途方にくれる必要はなく、人間の中に(人間の精神の中ではなく、人間の肉体過程の中に)人間をふたたび外部世界と結びつける外部の物質を見つけたかのようにとらえました。
唯物論の19世紀的変種である自然主義は、デカルト哲学の問題を解決し、同時に哲学と科学の間で絶えず広がってゆく裂け目に橋をかける方法を、生命の中に発見したように思われました。
今回は、このような内容でした。
ディスカッションの時間は、参加者から本文のプラトンの部分や制作についての解説から始まりました。
その後、「読む」というキーワードで、読むとは?というテーマで哲学をしたという話や、「正しい読み」というものについての議論が広がりました。
哲学書をはじめ、本の中には様々な引用がされています。著者はその引用先を「どのように読んでいるか?」というのも見方としてあるという話もありました。
また、プロセスが大事になってきたという部分について、ファッションはそうであったように感じるが、建築もそうだったか?というような質問が、参加者同士でなされていました。
本文にもあったように、有用性の原理というものに抵抗してこの哲学学校の場を作ったという哲学学校の裏話にも広がって行きました。
今年度の哲学学校は、残り2回です。理解しているかはさておいて、難解な哲学に関連する本を2冊も読めたというのは達成感があります。
次回、第29回(奇数回)は奇数回最終回、2022年2月1日(火)10:30~12:00『人生の哲学』より、「第15章生きがいへの問い(その3)意味と無意味の間」を扱います。レジュメ作成と報告は、「みらいつくり大学」教務主任の宮田直子が担当します。
第30回(偶数回)は偶数回最終回、2022年2月8日(火)10:30~12:00、ハンナ・アレントの『人間の条件』より「第6章 <活動的生活>と近代(44・45節)」を扱います。
今年度の哲学学校は、次回と次々回の残り2回で終わりです。振り返ればあっという間の一年です。
参加希望や、この活動に興味のある方は、下記案内ページより詳細をご確認ください。
皆さまのご参加をお待ちしております。
執筆:吉成亜実(みらいつくり研究所 リサーチフェロー兼ライター)
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