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2021.12.16
2021年12月14日(火) 10:30~12:00、第24回となる「みらいつくり哲学学校オンライン」を開催しました。
偶数回は、ハンナ・アレント著, 清水速雄訳『人間の条件』を課題図書にしています。
今回取り扱ったのは、「第6章 <活動的生活>と近代(35~37節)」でした。
ここから、最終章です。<活動的生活>と近代として、近代に関する内容に移っていきます。まずは35節の内容です。
近代の入り口の三つの大きな出来事が近代の性格を決定したといえます。
三つの出来事とは、
①アメリカ(大陸)の発見とそれに続く地球全体の探検
②宗教改革
③新しい科学の発展
です。それぞれの内容をもう少し詳しく見ていきます。
①大陸の発見
アメリカ大陸や大洋の発見、水平線の向こう側を見つけたことによって、地球は丸いのだという認識を持ちました。その影響から、利用可能な地球の空間が無限であると見えた途端、地球の縮小(これまで水平線の向こうは未知だったが、地球は丸くて向こうにも大陸があると知ったから)が始まりました。そして、各人は、自分の国の住民であると同時に地球の住民ともなっていきました。
長距離を早く進むようになったことから、距離の観念はスピードに屈していきました。
地球上のどの地点に到達する場合にも、人間生活の重要な時間的区切りはもはや不要になっていきました。
地球上の距離の縮小は、人間と地球との間に決定的な距離を置き、人間を地球の直接的な環境から遠ざける(エイリアネイト)という代償を支払ってのみ獲得できるようになりました。
②宗教改革
同じような精神的な意味での疎外(エイリアネーション)ということもありました。
マックス・ウェーバー「世界内的禁欲主義」(世俗内禁欲主義)は、新しい資本主義精神の内奥の源泉とみました。
歴史は、出来事の物語と言えます。この例として、戦後ドイツの「経済の奇蹟」があげられます。
現代の条件のもとでは、人民の収用、対象物の破壊、都市の荒廃なども、単に回復の過程を刺激するだけではなく、もっと急激で効果的な富の蓄積過程を根本から刺激することもあります。
近代になって信仰が失われたのは、起源からいえば宗教的なものではありません。信仰を失ったことで近代人はこの世界に投げ返されたのではなく、自分自身に投げ返されたとアーレントは述べています。
マックス・ウェーバーが行った発見は偉大で、マルクスが考えた自己疎外ではなく、世界疎外こそ、近代の品質証明であると言います。
資本主義経済の勃興と同時に、世界にたいする配慮や世話からも遠ざけられました。
その影響で、世界と人間の世界性そのものを犠牲にする場合にはじめて、富の蓄積過程が可能になります。
疎外という言葉には、いくつかの段階があります。
第一段階は、「労働貧民」です。これにより、家族と財産という二重の保護を奪われました。
第二段階は、家族に代わって、社会が新しい生命過程の主体となったときに始まりました。社会階級の構成員になることによって保護が与えられ、社会的連帯が家族を支配するようになりました。
最終段階は、ヨーロッパの国民国家システムの衰退や地球の経済的・地理的縮小、繁栄と不景気が世界大的現象になる傾向が挙げられます。
そして、人類という概念がよりリアリティを持つようになりました。地球の最も遠隔の地点にいる人でも、一世代前に国民同士が会うのに要したよりもっと短い時間内にお互い同士会えるほどの実体に変貌しました。
人類が国家に取って代わり、地球が国家に取って代ろうとしていると言えます。
次に36節の内容です。
③科学の発展
ガリレオの望遠鏡の発明を、アーレントはとても高く評価しています。
ガリレオの落下する物体の法則を証明する実験が、近代自然科学の始まりと言えます。
このことから、ガリレオは観念ではなく「出来事」を作り上げたと言えます。
自分の先駆者たちの説を「確証する」ことによって、立証可能な事実として提出しました。
自然科学の勃興は、人間の絶望や特殊に近代的なニヒリズムを広げました。その絶望と科学の発展の勝利感が、共に同じ出来事に含まれていると言えます。
ガリレオの発見によって人間の感覚は、リアリティを受け止める人間の器官そのものが人間を裏切るのではないかという古代の恐れ、と、世界の蝶番をはずすために地球の外部に支点を求めたアルキメデスの願いが、共に同時に現実のものとなりました。
物理学の発展なども相まって、今日に至ってようやく私たちに人間は「宇宙的」存在となりました。
世界疎外は、近代社会の進路と発展を決定するものです。
地球疎外は、近代科学の品質証明で、地球というものを人間の世界から阻害したと考えられます。
数学は空間性という鎖(幾何学)から首尾よく解放されました。
それによって、近代数学は、人間を地球拘束的な経験の鎖から解放し、人間の認識力を有限の鎖から解放しました。
地上の感覚が受け取る情報や運動を数学的シンボル(代数)に還元したいという近代の理想が現実となっていきました。
こうして、数学が近代の指導的科学になり、もはや真の姿を現わしている存在にかんする「科学」、すなわち哲学の始まりではなく、数学は人間精神の構造にかんする科学となりました。
デカルトの時代は代数ではなく、幾何学を用いていました。
デカルトは空間と延長、自然と世界の「延長するもの」を扱いました。
近代は「科学が数学に還元された」と言えます。アルキメデスの点の発見は、疑惑、怒り、絶望の感情を生みました。この感情は、精神的にはいまだに尾を引いていると言えます。
最後に37節の内容です。
現代の科学技術は、地球の外部に引証点を選ぶことによって得られた知識が、地球の自然と人間の工作物に応用されています。
今日の科学は「宇宙的な」科学だと言えます。その結果、自然を破壊し、それと共に自然にたいする人間の支配権をも破壊するという明白な危険を冒してまで、自然の中に宇宙過程を引き入れています。
巨大にふくれあがった人間の破壊力によって、地上の有機的生命はすべて破壊され、地球そのものさえ一日で破壊されてしまいます。
しかし、それ以上に恐ろしいのは、この破壊力に匹敵する新しい創造力です。
「宇宙的」という言葉は、ガリレオ時代から非常に特殊な意味をもち始めていました。この言葉は、「われわれの太陽系を超えて有効な」という意味も持っています。言い換えれば、「絶対的」とも言えます。
人間は、宇宙的・絶対的観点から「事を行う」ことはできるが、その観点から「考える」能力を失っているとアーレントは述べます。
新しい科学とは、アルキメデスの点に立つ科学です。それが世界を変え、人間の生活に新しい条件を確立し始めるまでにおよそ200年を要しました。
しかし、人間精神が、ガリレオの発見とその発見を完成させた方法や仮説から一定の結論を引き出すのにわずか数十年、たかだか一世代を必要としたにすぎません。
人間精神は、人間世界が何世紀も経て経験したのと同じ根本的変化を、数年あるいは数十年の間に経験したと言えます。
近代哲学が生き残った理由は、世界が進化して、かつて何世紀ものの間、ただ少数者だけが近づきえた真理が最終的には万人のリアリティとなったという事実と大いに関係があると言えます。
近代人の世界疎外と一致しているものとして、
・デカルトやホッブズ
・イギリスの感覚論、経験論
・プラグマティズム
などが挙げられます。
哲学者の精神は、古い形而上学的な問題から、極めて多様な内省に移って行きました。
ですが、世界を変えるのは観念ではなく出来事です。
近代の出来事の作者は、デカルトではなくガリレオであるとアーレントは述べます。
しかし、デカルトをはじめとする哲学者はすでに起こってしまった出来事を抜き差しならぬ思想の次元にまで引き上げ、この出来事の大きな衝撃を比類のないくらい正確に記録したと言えます。
この流れによって、ペシミスティック(悲観主義的)であった近代哲学の空気と、オプティミスティック(楽観主義的)であった近代科学の空気との奇妙な亀裂は埋められました。
そして今では、そのどちらにも、快活な空気は残されていないように見える。として今回の内容が終わりました。
ディスカッションの時間は、
「本文に度々登場している内省とはなにを内省しているのか?」という疑問が挙がりました。参加者からは、「科学は(宇宙など)外に手を広げていった、一方で哲学は自分の中に内省していったのではないか」という意見が出ました。
また、医学と本文に出てきた代数や社会主義というものの関連性や、疎外という言葉をどうとらえたらいいか?というような疑問や考察も出てきました。
また、そもそも参加者はなぜ哲学に興味を持ったのかというような話が広がったりもしました。
学ぶ手段として、問いを求めて、場を求めて…、各々哲学学校に参加する理由があったりなかったりします。皆さんは、なぜ哲学に興味を持ったのでしょうか?
みらいつくり研究所の活動に参加理由は必要ありませんが、様々なことに「なぜ?」を考えてみると面白いかもしれませんね。
次回、第25回(奇数回)は、2022年1月4日(火)10:30~12:00『人生の哲学』より、「第13章 生きがいへの問い(その1) 必然性を生きる自己」を扱います。レジュメ作成と報告は、今年度から哲学学校に参加している益田さんが担当します。
第25回(偶数回)は、2022年1月11日(火)10:30~12:00、ハンナ・アレントの『人間の条件』より「第6章 <活動的生活>と近代(38~40節)」を扱います。
参加希望や、この活動に興味のある方は、下記案内ページより詳細をご確認ください。
皆さまのご参加をお待ちしております。
執筆:吉成亜実(みらいつくり研究所 リサーチフェロー兼ライター)
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