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第11回 みらいつくり哲学学校オンライン 開催報告

2020年7月22日(水) 13:30~15:00で、第11回となる「みらいつくり哲学学校オンライン」を開催しました。

(いつもは木曜日ですが、今回は7/23(木)が祝日だったので前日水曜日に変更しました)。

 

奇数回は、大阪哲学学校編『生きる場からの哲学入門』を課題図書にしています。

 

今回は、みらいつくり研究所の活動のひとつである、「みらいつくり食堂」の運営を担っていた管理栄養士の久保香苗がレジュメ作成および報告を担当してくれました。

 

テーマは「食の哲学入門」でした。

サブタイトルは「フォイエルバッハを参考に 『食と宗教』について考える」となっています。

 

これまで、哲学の分野では「食の問題」が主題とされてこなかったと著者は言います。

しかしながら、食の問題は人間の生活や生き方に関わる困難さを抱えていると述べます。

 

そんな中で食の問題を取り扱った哲学者としてドイツの哲学者であるフォイエルバッハ(1804-1872)を挙げます。

フォイエルバッハは、キリスト教およびそれと一体になっているドイツ観念論を批判した「宗教批判」の哲学者として有名です。

 

フォイエルバッハによれば、「宗教的意識」と呼ばれるものには、「受苦」「困窮」「悩み」といった「自己疎外感」が含まれるとのこと。

人間はその自己疎外感を宗教の神や仏に投影し委託することで解決・解放などを願い生きようとしているのだと批判します。

実はそれは、自己の本質を「神」として崇めることになり、自ら作り出した「神」によって支配され、その「神」のために生きようとすることになっているのだ、という批判です。

著者は「食」についても同じ構造になっていると言うのですが、ちょっとわかりにくかったかもしれません。

 

著者は後半で、「個人主義(孤食)」と「共食主義」について分析します。

近年、生活スタイルの変化等により「孤食」が増えている一方、それを「悪しき食事の形態」だとして子ども食堂、地域食堂、共食行事の推進など「共食運動」も盛んになっています。

しかしながらこの「共食」には、両面性があると述べます。

共食活動を介し、共同性を維持・実現し、人間同士の結びつきを強くする一方、共食しない人間たちを憎悪し排除する。

つまり、共食には「結合・連携」と「排除・差別」という両面性があるというのです。

さまざまな宗教行為の中に多くみられる「共食」には、「共通の価値観念を形成し人間同士の一体性を強化」するという効果がある一方、それが他者を排除することにもつながるということですね。

 

ディスカッションでは、「食」について参加者が思い出を語りました。

訪問看護をしていて、「食べることは生きること」と言って終末期にも「食べる」ことにこだわりを持つご家族が多いこと。

ユダヤ人のご家庭で食事をした際、クラッカーみたいなパンを渡され、それに関する「民族」の思い出を聞いた話。

咽頭の癌の治療をした際、味覚が全く無くなった。最初は「食べ慣れないものを食べている感じ」だったが、その後に医者からは戻らないと言われていた味覚が戻ってきたとき、医者からは「記憶ではないか」と言われたという話。

胃瘻を造設した後、食事については「食の感性」だけで食べている気がするという話。

入院中に絶飲食になったとき、家族がおみやげにケーキを持って来て、自分だけが食べられず「孤独」を感じた話。

亡くなった奥様が食に強いこだわりを持っており、その後も食の「記憶」が残っていて、それを「指針」にしている。でも、つきつめすぎるのではなく「楽しく」食べるということが大事なんだと思うようになった、という話。

 

「食」について語ることは、「生きること」や「価値観」について語ることになるんだということを実感したような1時間でした。

 

 

第12回は本日7月28日(火) 10:30~12:00、いつも報告が間に合わない…。

第12回はハイデガーの『存在と時間』より第5章「内存在そのもの」の前半です。

 

第13回は、哲学学校初の「定時制開催」となります。

8月6日(木) 午後9時~午後10時30分

『生きる場からの哲学入門』の第Ⅱ部「生きる場からの思索と哲学」の

第1講「生と死とおひとりさまを考える」

レジュメ作成と報告の担当は、三重県の訪問看護師さんです。

「普段日中は仕事しているから参加できない…」という方もぜひ!

 

また、オンタイム参加できないという方で、録画だけはずっと見ています、という方もけっこう数名いらっしゃいます。

ぜひご連絡ください。

 

 

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