Works

第13回 みらいつくり哲学学校 「第7章 自己と他者(その1) 交流と対立」開催報告

前回の報告はこちら

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

21/8/19

 

2021年7月17日(火) 10:30~12:00、第13回となる「みらいつくり哲学学校オンライン」を開催しました。

 

 

奇数回は、渡邊二郎著『人生の哲学』を課題図書にしています。

今回取り扱ったのは、「第7章 自己と他者(その1) 交流と対立」です。

レジュメ作成・報告は、みらいつくり研究所 学びのディレクターの松井翔惟が担当しました。

 

今回からは、自己と他者について哲学していきます。

 

人生の真実を掴まえようとする現象学的な精神に則りながら、思想史の重要な遺産を解釈学的に継承するという態度において、この「自己と他者」という問題の基本を展望してみたい。

ということで、筆者は、まず初めに5人の哲学者の「自己と他者」に関連する論説を挙げていきます。

 

①マルティン・ブーバー『我と汝』より

・人間には二つの「根本的言語」がある。ひとつは、一人称の私が二人称の君と直接向き合って対話を交わすときの、「我ー汝」という根本言語。この時には、「汝」・「君」という二人称の相手との「出会い」の関係が基礎となり、その二人称の相手との交流において「汝の世界」が開かれてくる。

・もうひとつ別の根本言語は、一人称の私が三人称の事物的現象を冷たく眼差したときに成立する「我ーそれ」という根本的言語。この時には、「それ」という「対象」的に指示された事物的世界、すなわち「それの世界」が開かれてくる。

 

ブーバーは、このように自己と他者を捉えていました。

ブーバーの人間観としては、

「人間は、それと指しうる事物的対象なしで生きることはできないが、しかしそれのみで生きるものは人間ではない」

「すべての真実の生とは、出会いである」というものが挙げられています。

 

また、これらのことを通してブーバーは、

孤立し合うようになった現代社会の人間に対して、汝という二人称の相手のとの真の対話的交流の場の回復を強く訴えかけ、心の交流の究極に「永遠の汝」という神の影さえも見て取ったのである。

というような主張をします。

 

ブーバーのこれらの考えを、筆者は

人間の「自己」は、ほんとうには、「汝」と呼びうる「他者」との「出会い」において初めて成立しうると、ブーバーは見たのであり、その汝は、ついには「永遠の汝」へと向かって収斂してゆくというわけである。

とまとめています。

 

②フェルディナント・エップナー『言語と精神的実在』より

エップナーは、孤独な自我でなく、汝と相対した交わりにおける自我をこそ、真実の自我としました。

また、我と汝の交流の根底には、深く神という汝が潜み、その神の前に立って、告げ、語り、聞き、思うところに、人間的自我の精神的活動も、言語も、行為も、要するに人生のいっさいが成り立ってくるとも述べました。

 

③カール・バルト『人間と共同人』より

・「我あり」ということを考えたり、発語したりするのは、「孤独」のなかにおいてではない

・「私の”我”という告知を受け取り、それを認め了解してくれるような他者から、私自身を区別している」

・「自我は、汝があることによって、ある」「自我は出会いのなかにある」

・「他なる人間との出会いにおける存在」こそが、人間の構造であり、この出会いのなかに、「歴史」もある

 

これを踏まえて、筆者は、下記のようにまとめています。

こうした人間関係の根底には、「人間が神によって神のために造られた」というキリスト教的信仰が、その支えとして伏在していることは言うまでもない。

 

④フォン・ウスラーの論文「出会いの本質」より

・人間は、「みずからが本来的に現に存在すべきことであることの呼びかけと要求を、汝の存在から経験する」

・この「出会いの気分」は、爽やかな清々しさのそれであり、その「出会い」から、「誓い」が生じ、未来に向けた時間性のなかでの人間の真実の生き方が生じてくる

 

⑤フォイエルバッハ『将来哲学の根本命題』より

・「人間の本質は、ただ共同存在のなかにのみ、人間と人間との統一性のなかにのみ、含まれている。―――この統一性は、しかし、我と汝の差異の実在性の上にのみもとづいている」

 

「我と汝」の思想は、こうして、人間関係の理想論にまで発展していったと筆者は述べます。

 

「我と汝」関係を打ち壊す構造として、さまざまな心理的葛藤があるといいます。

調和を撹乱するこうした要素を、広く「争い」の面と捉え、「自己と他者」の根底には、「争い」が深く胚胎しているいるという点に注意を向けていきます。

 

争いについて考えるにあたっては、ヤスパースの限界状況というものをベースにしていきます。

「限界状況」とは、「壁」のようなものであって、それにぶつかって、私たちは、ただ「挫折」するだけであり、それをまえにして私たちは、「困惑しきってうつろな思い患いをするだけの状態」になってしまうものとされます。

しかし、その「限界状況」を見つめることによって初めて、私たちは、「私たち自身へと生成」してゆくことができるのであって、「限界状況を経験することと、実在するということとは、同じことなのである」とヤスパースは述べます。

 

「限界状況」には、下記のような3つの種類があるとされます。

・私はつねに一定の「歴史的規定性」を帯びた状況のなかにしか存在しえないという限界状況

・私はつねに「個別的限界状況」(死、悩み、争い、責め)のなかにあるという事態のこと

・私はつねにあらゆる現存在〔生存〕の「不確かさ」のなかに置かれているという限界状況

 

また、ヤスパースは「争い」を2つに区別しました。

 

(1)力ずくの争い

・「私が現存在〔生存〕することは、それだけでもう、他の人々から何かを奪い取ることであり、逆にまた他の人々も私から何かを奪い取っている」とされる。

つまり、生きることは奪うことであるということです。

 

争いや搾取が究極的なものである理由として、厳しい生存競争の事態が、人間の生存の根底に、不可避の宿命的な限界状況として潜んでいると、ヤスパースは述べようとしています。

 

人間の生存競争の根深さを率直に認めて、それをしっかりと念頭に置いて生きるべきだとする、正しい人生知が示されていると言ってよいと思う。と、筆者はヤスパースの考え方を支持しています。

 

(2)愛しながらの争い

・実存する者同士が「愛」し合いながらも、格闘せざるをえないということを指している

・「愛において、人間は、たがいに残る隈なく、あえてたがいを問題化して、確かめ合おうとする。こうして仮借ないまでにたがいに究明し合った腹蔵のなさのなかでありのままであろうとすることによって、人間はたがいの根源に迫ろうとするのである」

・このような「胸襟を開き合った腹蔵のなさをめざす争い」のなかからのみ、存在の確信が生まれてくる

 

「愛しながらの争い」という、人間関係の不可避の真実を鋭く見つめて、この限界状況を引き受け、そのなかに誠実に立つことによってのみ、実存の真実が達成されうると見たヤスパースの見解は、私たちに教えるところの大きなものをもつと言わなければならないと思う。と筆者は述べています。

 

最後に、まなざしとしての他者というものを挙げます。

これは、サルトルの『存在と無』のなかに出てきています。

サルトルは人間関係を、「まなざし」を向け合う厳しい「相剋」の関係と見て、独特の他者論を展開しました。

 

・すなわち、人間とは、事実的に凝固した「即自存在」ではなく、未来へと向けて自己実現を目指しつつある「対自存在」なのである。ところが、他者によって、まなざされると、人間は、この自由な「対自存在」を失ってしまって、凝固した「即自存在」になり変わってしまう。

・他者の「まなざし」にさらされて、私は、思わず、身の縮む思いをし、手足が固くなり、自由を失い、自分らしさを喪失しかねないのである。

 

サルトルはこのように、まなざしというものをとらえます。

また、連帯性の問題として、サルトルは人間の連帯性を幻想にすぎないとました。

 

そして「アンガジュマン(社会参加)」の思想を提唱して、この対他存在のなかでのあるべき倫理の方向の模索に踏み出していきました。

 

 

 

ディスカッションでは、今回からは全員が感想を言ってから論点を探すのではなく、はじめから何か論点を挙げてそれぞれ答えていく形になりました。

 

まず初めに出てきたのは、「胸襟を開き合った腹蔵のなさをめざす争い」という本文の「胸襟(きょうきん)」という言葉についての話でした。

胸襟は他者に心を開くという意味ですが、「参加者は他者に対して胸襟を開く方か?」「人との距離のあり方に地域差はあるか?」などの論点が挙がりました。その中で、胸襟の開き具合は0か1ではなく、段階的なものかもしれない。という話も出ました。

 

また、「他者に対して言いにくい指摘などを伝えることはできるか?」という論点から、職場の教育場面での葛藤などについても語られていました。

その後、仕事としての立場で、例えば医師と患者の関係の中で「関わりに線引きをする?」という話題がありました。参加者には3名の医師がおり、それぞれの考え方が共有されました。

 

このように、今回は新しい方法で、皆さんと今回のテーマである「自己と他者」についての話が広がりました。

 

 

コロナの影響で、人と関わることか難しくなっています。その分、オンライン上で様々な活動が行われるようになりました。私もその恩恵を受けている一人ですが、やはり会って関わることとは何かが違う気がしています。「会えない」世の中は今後、どのように変わっていくのでしょうね。

 

 

次回、第14回(偶数回)は、8月24日(火)10:30~12:00、ハンナ・アレントの『人間の条件』より「第4章 仕事(19~21節)」を扱います。

第15回(奇数回)は、8月31日(火)10:30~12:00『人生の哲学』より、「第8章 自己と他者(その2) 世間と役割」を扱います。

レジュメ作成と報告は、荒先生が担当します。

 

 

参加希望や、この活動に興味のある方は、下記案内ページより詳細をご確認ください。

皆さまのご参加をお待ちしております。

 

執筆:吉成亜実(みらいつくり研究所 リサーチフェロー兼ライター)

 

 

みらいつくり哲学学校オンラインについてはこちら↓

2021年度哲学学校のお知らせ

 

次回の報告はこちら